森家一族の呼称について

森家一族の各家は分流が多い上に名称は一定しておりません。本サイトでは便宜的に一応の家の分類をして呼称を統一しております。分類は以下の表を参照して下さい。
 他にも森家の子孫を称する家が何件かありますが、森家の公的な系譜でも確認できず、また本サイトの研究とも対象外であることから、系譜上確認できるものにだけを採り上げました。
更新 2020/3/26

《1 森家 宗家系》
家の呼称 初代 由緒等

宗家系

森越後守可行の長男可成の系統(宗家)系統で織豊政権の成立過程の中で大名となった家です。宗家系では赤穂家と三日月家が大名として明治まで存続し、宗家分家主税家は宗家の家臣として、三日月分家の久留里家は他家の家臣として残りました。
1-1 宗家
(美濃金山〜信濃川中島〜金山〜川中島〜美作津山)
三左衛門可成
武蔵守長可
左中将忠政
可成の跡は次男長可で、長可の後は末弟の森美作守忠政が継ぎ、美作国主となります(18万6500石)。しかし、元禄10年に美作守長成死去後、養子の式部衆利は発狂し、無嗣断絶となります。
1-1-2 赤穂家
(備中西江原〜播磨赤穂)
内記長継
和泉守長直
宗家改易後、前藩主で隠居していた老齢の森内記長継が隠居料としていた2万石を改めて宛行われ、家名を残します。そのため備中西江原へと移されます。その後の和泉守長直が赤穂に転封となりました。この家を居城のあった所を採って「赤穂家」としました。しかし、津山藩主長継ぐ直系の家として「宗家」を意識しています。これは「森家先代実録」の編纂方針によく現れています(旧子爵)。
1-2 三日月家
(津山新田〜三日月)
對馬守長俊 この系統を「三日月家」とするのは居所である播磨国三日月(乃井野)に由来します。「実録」では森對馬守長俊の系と呼んでいます(旧子爵)。長俊は当初宗家から新田を分知されていましたが、宗家改易後、領地を改めて三日月に賜りました。
1-3 主税家
(赤穂家重臣)
伯耆守長武
主殿長基
「森家先代実録」では森主税家系としている家です。祖は長継5男伯耆守長武で津山藩主を隠居した際に本家より隠居料として2万石を分知されたのがはじまりです。長武は実弟の主殿長基を養子にして跡を継がせようとしますが2万石相続は認められず、長基は実父長継に御預となりました。後に赦免となり赤穂藩の重臣となります。以後の当主は代々「主税」を称します。


《2 森家分家 可政系》
家の呼称 初代 由緒等

可政系

森可成の弟可政の系統です。赤穂藩森家の重臣の大半はこの系統の森家です。また、この系統には旗本もあります。可政は当初徳川家の旗本でしたが、宗家の忠政に請われて津山藩の家臣となり、可政は長男に家督を譲って津山に赴きます。そのため、徳川幕府の旗本として残った系統と、可政に付いていった子の系統(宗家重臣)が存在します。
2-1 次郎家(旗本) 對馬守可政
伊豆守重政
この家は可政が豊臣秀吉・徳川家康に仕えて成立した家です。初代は對馬守、二代は伊豆守の受領を名乗っていますが、以後の当主は「次郎兵衛(治郎兵衛)」・「半右衛門」の通称が多いです。
2-1-2 才兵衛家(旗本) 才兵衛正剰 この家は次郎家三代重継の次男才兵衛正剰が祖です。
2-1-3 半十郎家(旗本) 半左衛門 次郎家2代伊豆守重政次男の半左衛門が祖です。はじめは宗家に仕えていましたが、浪人し次郎家に身を寄せていました。半左衛門の子半十郎は神田館(館林藩徳川綱吉)に仕え、のちに幕臣となります。しかし6代目の時に乱心して断絶しました。
2-2 武兵衛家(宗家重臣) 淡路可信 可政の外孫森淡路可信が祖です。可信は関武兵衛(妻は可政女)の子ですから本来は関姓なのですが、幼少より外祖父可政に養育されたことから、森氏を称します。
2-3 左兵衛家(旗本) 左兵衛可澄 可政次男左兵衛佐可澄の系統です。父可政が津山藩執政として招かれた際に、兄伊豆守重政とともに徳川家に残りました。
2-4 縫殿家(赤穂家重臣) 河内正次 可政の子河内正次が祖です。この家から赤穂藩主を輩出しています。
2-5 福岡家
(福岡藩黒田家家臣)
勝右衛門成正 可政の子勝右衛門成正が祖です。父可政の周旋によって黒田長政に仕えます。
2-5-2 福岡分家
(福岡藩黒田家家臣)
金左衛門正信 福岡家二代正利の子金左衛門正信が祖です。父の死後分知して別家します。
2-6 采女家(赤穂家重臣) 采女可春 可政の子采女可春が祖です。この家から赤穂藩主数人を輩出していることからもわかるように、赤穂藩重臣のなかでも家格は高い家でした。
2-6-2 矢柄家(赤穂家重臣) 矢柄可直 采女家3代三隆の養子矢柄可直(後出の林家出身)が祖です。当初は家を継いで家老となります。しかし、国元勤の藩命を拒否して赤穂藩を退身し、後には森の家名も召し上げられ采女家は一旦断絶します。この後采女家は他家から養子が入って家名は続きます。
2-7 続之丞家(赤穂家重臣) 左近正信 可政の子左近正信が祖です。


《3 関家》
家の呼称 初代 由緒等

関 家

祖は藤原秀郷と言われる家で(平氏ともいわれています)、織田信長の配下でしたが、のちに森家の家臣となります。森家の一族でも特殊な家柄で津山2代藩主長継(母は忠政女郷)の実家です。宗家の長継が実弟の関長政に分知して大名に取り立てられました。この家はこの他に津山藩重臣になった関家と、はじめ森家家臣でのち新見藩関家家臣になった関家、津山妙願寺住職の森家があります。本来ならば長安子武兵衛の系統もこの系統に入りますが、可信が外祖父可政に育てられて森氏を称した為、可政系に入れてあります(2-2)。
3-1 関家
(美作宮川〜備中新見)
小十郎右衛門長安(共成)
備前守長政
宗家森長継の実弟関備前守長政が兄長継より分知して創立した家です。この家は関家の本家として、ここでは「関家」と呼びます。関民部成次の室は森忠政の息女「郷」でその子が忠政の跡を継ぐ長継です。また、長継の子の長治が長政の養子となります。宗家改易後、領地を改めて新見に賜りました(旧子爵)。
3-2 妙願寺家
(森家・津山妙願寺住職)
了向 関共成の子了向は津山森家縁の寺院妙願寺の開祖です。この寺は可成室妙向尼の菩提寺です。以後、この系統は妙願寺の住職を勤めます。3代目の順恵の室は宗家森忠政子大膳亮重政息女「捨」です。この家が森姓を称するのはこれに由来します。
3-3 市正家(宗家重臣) 市正衆之 成次の子市正衆之が祖です。宗家の重臣として仕えます。2代目の式部衆利は宗家長継(津山2代)の実子で宗家長成(津山4代)の養子となりますが、発狂したために宗家は断絶、身は実父長継に預けられ、備中西江原にて病死しこの家は断絶します。
3-4 備後家(関家重臣) 備後正有 成次の子備後正有が祖です。子の成房は津山藩年寄でしたが、津山藩改易後は、備中新見に赴き関家に仕えます。


《4 森家家臣 各務家》
家の呼称 初代 由緒等

各務家

各務家は家伝に依れば、清和源氏といわれています。
森家重臣の各務家は兵庫元正を祖とします。この家からも主君との姻戚関係があったためか赤穂藩主を輩出しています。家としては赤穂藩の重臣として続きますが、後出の林家から養子を入れたり、逆に実子を林家に出したりしています。ただし、森家ではここで取り上げる各務家の他にも各務姓の家臣が数家ありこれらと、ここで採り上げる各務家との関係ははっきりしていません。
 余談ですが、赤穂四十七士の横川勘平宗俊は元正の玄孫に当たります。
4-1 伊織家 兵庫元正 赤穂藩各務家では本家に当たる家です。5代目の利直は森可成妻妙向尼の実家林家から養子に入った人で、彼の子息の内3人が赤穂藩主となっています。
4-2 主水家 藤兵衛 兵庫元正の次男に当たる藤兵衛が祖です。津山藩では2000石でした。「森家先代実録」によれば主水家の系譜は元禄期までで途絶えています。従ってこの時点で家としては断絶したとも考えられますが不明です。ちなみに妙願寺家(3-2)とは縁戚関係にあります。


《5 元森家家臣 林家》
家の呼称 初代 由緒等

林 家

林家は森可成の室である妙向尼の実家です。妙向尼の姉弟の為忠(道休)は忠政が信州川中島から美作に転封になった際に妹婿の井戸宇右衛門が院庄に於いて忠政の寵臣名古屋九右衛門と闘争の末死去したことを美作へ赴く途上に聞き、そのまま森家を退身してしまいます。
 林家はその後福島家を経て本多家に仕えますが、前出の各務家から養子を入れたり、逆に各務家へ実子を入れていて姻戚関係を結んでいます。比較的早い時期から森家を去ったにもかかわらず、妙向尼の実家だったことから「森家先代実録」にもその系譜が収められています。
5-1 長兵衛家 長兵衛直重(通安) 林家本家の代々の通称です。林道休は森家を退身した後、福島正則に仕え、福島家断絶の後は姫路城主本多忠義の客分として迎えられます。道休は5000石、子の土佐は1000石(5-2)を賜りました。
 政光の子の利直は赤穂藩各務家の養子となり(4-1)、その子3人が赤穂藩主となっています。
5-1-2 勘解由家 勘解由直道 長兵衛家の分家で1000石を知行しました。一族は赤穂藩の伊織家(4-1)と姻戚関係にあります。このうち後に采女家(2-6)に養子に行き、のちに采女分家(2-6-2)となる可直はこの家の出身です。
5-2 土佐家 土佐直親 林道休の子土佐直親が祖で、福島家ののち本多家に仕えます。
5-3 左兵衛家 左兵衛 道休の子左兵衛が祖です。

《参考》

赤穂藩森家編纂「森家先代実録」(個人、赤穂大石神社、新見市立図書館所蔵) 『赤穂市史』(赤穂市史編さん室編、赤穂市)
森正賀編「森可政系図伝」(東京大学史料編纂所架蔵謄写本) 『岡山県史 第二十五巻 津山藩文書』(岡山県史編纂委員会編、岡山県)
森正賀編「森正次家系実録」(東京大学史料編纂所架蔵謄写本) 『寛永諸家系図伝』(徳川幕府編、続群書類従完成会)
「森家史料」(赤穂大石神社所蔵) 『新訂 寛政重修諸家譜』(徳川幕府編、続群書類従完成会)
『新編 藩翰譜』(新井白石、新人物往来社)
『清和源氏 赤穂森家』(三谷百々、赤穂市文化振興財団)
『断家譜』(続群書類従完成会)
『平成新修 旧華族家系大成』(霞会館編、吉川弘文館)
『兵庫県史 史料編近世T』(兵庫県史編さん委員会編、兵庫県)
『森一族のすべて』(一族叢書編集委員会編、新人物往来社)
森本謙三『津山藩主 森・松平家一族の歴史』(平成3年、津山社会教育文化財団)