|コラム||森家史料
森家年譜 9【森子爵家(2家)・関子爵家】
−明治2(1869)〜昭和元(1926)−
更新 2006/7/22

《年譜》
年 号 西 暦 干 支 天皇太政大臣(内閣総理大臣) 事 項 当  主
明治21869己巳明治-赤穂 ☆6.17 忠儀、華族となる。
☆6.23 忠儀、赤穂藩知事に任ぜられる〔諸家譜、森家系〕。
☆12 忠儀、柴田谷右衛門に「周」と名乗ることを命ず〔柴田家文書〕。
忠儀(20)
三日月 ☆6.17 俊滋、華族となる。
☆6.23 俊滋、乃井野藩知事に任ぜらる〔諸家譜〕。
俊滋
新見 ☆6.17 長克、華族となる。
☆6.22 長克、版籍返上。新見藩知事に任ぜらる〔諸家譜〕。
長克
明治3 1870 庚午 明治 - 赤穂 忠儀(21)
三日月 俊滋
新見 ☆2.16 沖佐太郎次女留(のちの関博直子爵後妻)、誕生す〔華族〕。 長克
明治4 1871 辛未 明治 三条実美(太政大臣) 赤穂 ☆7.15 忠儀、赤穂藩知事を免ぜられる〔森家系〕。
☆6.13 忠儀子忠恕、誕生す〔華族〕。
忠儀(22)
三日月 ☆7.14 俊滋、三日月藩知事を免ぜらる〔諸家譜〕。 俊滋
新見 ☆7.14 長克、新見藩知事を免ぜらる〔諸家譜〕。 長克
明治5 1872 壬申 明治 三条 ☆3 忠儀、東京に移住す〔森家系〕。
☆9.10 忠儀子英太郎(池田亀入夫)、誕生す〔華族〕。
☆11.12 新見関長克子長愛(伊勢不染養子)誕生〔華族〕。
赤穂 忠儀(23)
三日月 俊滋
新見 長克
明治6 1873 癸酉 明治 三条 ☆1.12 華族田村邦栄(旧奥州一関藩主)の次女琴(のちの三日月森長祥夫人)、誕生す〔華族〕。 赤穂 忠儀(24)
三日月 俊滋
新見 長克
明治7 1874 甲戌 明治 三条 ☆4.9 赤穂森忠儀、大講義に補す〔諸家譜〕。
☆10.9 赤穂森忠儀、大講義を免ぜらる〔諸家譜〕。
☆是歳 赤穂森忠儀、「播磨赤穂 森家譜」を明治政府に提出す。三日月森俊滋、「播磨三日月 森家譜」を明治政府に提出す。
赤穂 忠儀(26)
三日月 俊滋
新見 長克
明治8 1875 乙亥 明治 三条 赤穂 忠儀(26)
三日月 俊滋
新見 長克
明治9 1876 丙子 明治 三条 赤穂 忠儀(27)
三日月 俊滋
新見 長克
明治10 1877 丁丑 明治 三条 ☆3.19 新見関長克、没す〔華族〕。
☆5.8 新見関家、長克夫人亭以(長道長女)が相続する〔華族〕。
☆11.27 新見関家、亭以養子博直が相続する〔華族〕。
赤穂 忠儀(28)
三日月 俊滋
新見 長克
亭以
博直
明治11 1878 戊寅 明治 三条 ☆1.19 赤穂城取り壊しの上、入札払となる。落札人は浅野家縁故の人にて瓦・金具等は東京高輪泉岳寺へ寄付す〔東京日日・新聞集成明治編年史〕。
☆是歳 赤穂城藩庁(本丸御殿)、解体される〔赤穂城本丸御殿玄関板書〕。
赤穂 忠儀(29)
三日月 俊滋
新見 博直
明治12 1879 己卯 明治 三条 ☆6.9 三日月森俊滋、没す〔華族〕。
☆7.30 三日月家、俊滋子の長祥が相続する〔華族〕。
☆12 旧赤穂藩庁殿舎、もとの舟入跡(栄町)に開校した赤穂尋常小学校校舎として再築される〔赤穂城本丸御殿玄関板書〕。
赤穂 忠儀(30)
三日月 俊滋
長祥
新見 博直
明治13 1880 庚辰 明治 三条 ☆6 新見関博直子爵の子長剛誕生〔華族〕。
☆7.22 一柳末徳次女喜久子(後の赤穂森忠恕夫人)、誕生〔華族〕。
赤穂 忠儀(31)
三日月 長祥
新見 博直
明治14 1881 辛巳 明治三条☆6 新見関博直の子毅乎(はたお、大伴義正養子)、誕生す〔華族〕。
☆12.27 赤穂前藩主忠徳、病卒(64歳)。麻布瑠璃光寺に葬る〔森家系、華族〕。
☆是歳 赤穂花岳寺仙珪和尚の主唱により有志等、桜魂社を組織して大石邸址ほか用地を買収す〔創建記録〕。
赤穂 忠儀(32)
三日月 長祥
新見 博直
明治15 1882 壬午 明治 三条 ☆8.8 赤穂前藩主忠典、没す(36歳)〔華族〕。 赤穂 忠儀(33)
三日月 長祥
新見 博直
明治16 1883 癸未 明治 三条 赤穂 忠儀(34)
三日月 長祥
新見 博直
明治17 1884 甲申 明治 三条 ☆7.8 赤穂森忠儀(赤穂)、子爵に叙爵す。三日月森長祥、子爵に叙爵す。新見関博直、子爵に叙爵す〔華族、華族制度資料〕。 赤穂 忠儀(35)
三日月 長祥
新見 博直
明治18 1885 乙酉 明治 三条

伊藤博文(内閣総理大臣)
☆10.15 赤穂森忠儀子爵、没す(36歳)〔華族〕。
☆是歳 赤穂前藩主忠贊子可悌(可象)、没す〔華族〕。
赤穂 忠儀(36)
忠恕
三日月 長祥
新見 博直
明治19 1886 丙戌 明治 伊藤 赤穂 忠恕
三日月 長祥
新見 博直
明治20 1887 丁亥 明治 伊藤 赤穂 忠恕
三日月 長祥
新見 博直
明治21 1888 戊子 明治 伊藤
黒田清隆
☆11.17 三日月森長祥の長女千代子(のちの三日月俊成夫人)誕生す〔華族〕。 赤穂 忠恕
三日月 長祥
新見 博直
明治22 1889 己丑 明治 黒田
三条実美
赤穂 忠恕
三日月 長祥
新見 博直
明治23 1890 庚寅 明治 三条
山県有朋
赤穂 忠恕
三日月 長祥
新見 博直
明治24 1891 辛卯 明治 山県
松方正義
☆5.22 高野の仇討の討手赤木俊蔵、死去す(50歳)〔高野の復讐〕。 赤穂 忠恕
三日月 長祥
新見 博直
明治25 1892 壬辰 明治 松方
伊藤博文
赤穂 忠恕
三日月 長祥
新見 博直
明治26 1893 癸巳 明治 伊藤 赤穂 忠恕
三日月 長祥
新見 博直
明治27 1894 甲午 明治 伊藤 ☆1.31 五辻長仲三男久行(のちの赤穂森可久子爵)、誕生〔華族〕。
☆9.6 三日月森長祥の次女鑑子誕生す〔華族〕。
☆12 新見関博直子爵夫人天留、没す〔華族〕。
赤穂 忠恕
三日月 長祥
新見 博直
明治28 1895 乙未 明治 伊藤 赤穂 忠恕
三日月 長祥
新見 博直
明治29 1896 丙申 明治 伊藤
黒田清隆
松方正義
☆10.8 池田英太郎(赤穂前藩主忠儀子)、没す〔華族〕。 赤穂 忠恕
三日月 長祥
新見 博直
明治30 1897 丁酉 明治 松方 赤穂 忠恕
三日月 長祥
新見 博直
明治31 1898 戊戌 明治 松方
伊藤博文
大隈重信
山県有朋
☆12 新見関博直子爵の六男長博、誕生す〔華族〕。 赤穂 忠恕
三日月 長祥
新見 博直
明治32 1899 己亥 明治 山県 ☆1 新見関長克夫人亭以、没す〔華族〕。
☆11.8 高野の仇討の討手村上行蔵、死去す(56歳)〔高野の復讐〕。
赤穂 忠恕
三日月 長祥
新見 博直
明治33 1900 庚子 明治 山県
伊藤博文
☆7.13 三日月森長祥子爵、没す〔華族〕。
☆7.25 三日月家、新見関博直子の俊成が相続する〔華族〕。
赤穂 忠恕
三日月 長祥
俊成
新見 博直
明治34 1901 辛丑 明治 伊藤
西園寺公望
桂太郎
☆2 新見関博直子爵、夫人留と離婚〔華族〕。
☆4.6 旧赤穂藩森家家臣士飯尾定雄俊昌、大石神社の社掌に補される〔創建記録・歴史〕。
☆11.10 高野の仇討の討手池田農夫也、死去す(64歳)〔高野の復讐〕。
赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 博直
明治35 1902 壬寅 明治 ☆2.1 赤穂森忠恕子爵女子鶴音(成田きやう養女)誕生〔華族〕。
☆8.7 赤穂森忠恕子爵の長女嘉音子氏(のちの可久子爵夫人)誕生〔華族〕。
赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 博直
明治36 1903 癸卯 明治 ☆3.21 赤穂前藩主森忠儀夫人米子(松平氏)、没す〔華族〕。 赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 博直
明治37 1904 甲辰 明治 赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 博直
明治38 1905 乙巳 明治 ☆5.24 高野の仇討の津田勉、死去す(74歳)〔高野の復讐〕。
☆8.3 赤穂森忠恕子爵、夫人喜久子と離婚〔華族〕。
赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 博直
明治39 1906 丙午 明治
西園寺公望
☆5 姫路混成旅団長渡辺陸軍少将、大石邸長屋門の破損等を見て赤穂町長を非難す〔創建記録・歴史〕。 赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 博直
明治40 1907 丁未 明治 西園寺 ☆夏 大石旧邸保存会が設立される〔創建記録・歴史〕。 赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 博直
明治41 1908 戊申 明治 西園寺
桂太郎
☆1 大石旧邸保存会の会長に旧赤穂藩主森忠恕子爵を推戴、併せて副会長・評議員などを選出し、事務所を赤穂花岳寺に置く〔創建記録・歴史〕。 赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 博直
明治42 1909 己酉 明治 ☆7 久留里家森信家、亡母ヨ(光新妻・光福女)の墓誌を建立す〔黒稿下〕。
☆10 新見関博直子爵の女子秋子(のち分家)、誕生す〔華族〕。
☆11.8 三日月森俊成子爵の長男俊守誕生〔華族〕。
赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 博直
明治43 1910 庚戌 明治 ☆11.24 三日月森俊成子爵の子俊次誕生〔華族〕。
☆是歳か 大石神社社掌飯尾定雄、大石邸長屋門北門長屋に移住す〔新義6・歴史〕。
赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 博直
明治44 1911 辛亥 明治
西園寺公望
赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 博直
明治45・大正元 1912 壬子 明治
大正
西園寺
桂太郎
☆1.13 三日月森俊成子爵の女子喜代子(のちの安田卯之助夫人)誕生〔華族〕。
☆7 大石旧邸保存会会長森忠恕子爵、病気のため会長を辞任。同時に保存会事務所を赤穂花岳寺より大石旧邸長屋門内に移す〔創建記録・歴史〕。
★7.30 改元。明治天皇崩御につき大石神社で奉告祭を行う〔創建記録〕。
☆10.14 かねて療養中の赤穂花岳寺住職釈種仙珪和尚遷化す(75歳)。大石旧邸保存会より花輪を贈り香典を供え祭文を奏して弔す〔創建記録・歴史〕。
☆11.4 赤穂大石神社本殿落成につき遷座祭並びに仮竣工式を挙行す〔創建記録・歴史〕。大阪朝日新聞神戸附録『大石神社建立記念号』発行〔歴史〕。
☆11.6 高野の仇討の討手村上六郎、死去(72歳)〔高野の復讐〕。
赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 博直
大正2 1913 癸丑 大正
山本権兵衛
☆4 赤穂前藩主忠徳の遺骨を赤穂花岳寺へ再改葬〔森家系〕。
☆8.20 三日月森俊成子爵女子美代子(のちの石川健逸夫人)誕生〔華族〕。
赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 博直
大正3 1914 甲寅 大正 山本
大隈重信
赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 博直
大正4 1915 乙卯 大正 大隈 ☆11.17 三日月森俊成夫人千代子、没す〔華族〕。三日月森俊成子爵女子嘉代子(のちの風野輝雄夫人)誕生〔華族〕。 赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 博直
大正5 1916 丙辰 大正 大隈
寺内正毅
赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 博直
大正6 1917 丁巳 大正 寺内 赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 博直
大正7 1918 戊午 大正 寺内
原 敬
赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 博直
大正8 1919 己未 大正 赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 博直
大正9 1920 庚申 大正 赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 博直
大正10 1921 辛酉 大正
内田康哉
高橋是清
赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 博直
大正11 1922 壬戌 大正 高橋
加藤友三郎
赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 博直
大正12 1923 癸亥 大正 加藤
内田康哉
山本権兵衛
☆3.7 内務大臣より史蹟保存法に基づく史蹟として「大石良雄宅阯」が国史跡の指定を受ける〔新義6・歴史〕。☆4.26 新見関博直子爵、没す〔華族〕。
☆6 関子爵家、博直子長剛が相続する〔華族〕。
☆是歳 赤穂大石神社に宮司職舎建つ〔新義60〕。赤穂大石神社社掌飯尾定雄死去〔新義6〕。
赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 博直
長剛
大正13 1924 甲子 大正 山本
清浦奎吾
加藤高明
☆8.1 筏安太郎(水處)著『明治秘史高野の復讐』、日本魂社より発行される。 赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 長剛
大正14 1925 乙丑 大正 加藤 赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 長剛
大正15
昭和元
1926 丙寅 大正
昭和
岩槻禮次郎 ☆1 赤穂大石神社飯尾巌夫社掌一家、大石邸長屋門より神社社務所職舎へ移る。このとき長屋門西側に増設されていた便所・台所等は取り払われる〔新義6・歴史〕。
☆8.5 太田由喜馬(雪中)編述による『明治維新赤穂志士高野の殉難』、十五志士事績顕彰会より発行される。
★12.25 改元。
赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 長剛