-----  ラブリー


   >>> 10



「この前の人が彼女なんだ?」
 無言で見下ろした目線の先には、有馬由宇香。
 ある企みの為に担当教授のところに寄って、思ったよりも手応えがあって嬉しくなってたところへ、こいつだ。
 高校の時なら、無理にでも平静を装ってた。でも今はそういうことをするのはやめたから、たぶん俺の目つきはものすごく悪いはず。だけど怯むことなく有馬由宇香は俺に話しかけてくる。
「なんか、普通の子よね。どこがスキなの?」
 すげーウザい。こういうタイプに遭遇したのは初めてだ。
「ねぇ、待ってよ」
 時々、すれ違う野郎が振り返っていく。いつもつるんでるヤツらまで可愛いとか言ってたし、俺もそうなんだろうと思う。確かにこいつからみたら美哉はフツーなんだろう。だけど、俺にとって有馬由宇香は不協和音でしかない。
「ねえったら!」
「普通なところ」
 横目でちらっと答えると、案の定ムッとしている。効いたと思ったのに、ほかには? とさらに訊いてきた。
「うるさくないところ」
 これはウソだ。なんだかんだいって美哉もけっこううるさいからな。
「それから?」
「俺を殴るところ」
 彼女はキョトンとしてから、異質なものでも見るような目つきで俺を見た。
「マゾなの?」
「そう」
「怒ってるの?」
「なんで?」 
 目の前に立って行く手を阻まれる。俺を探るような表情を浮かべていたかと思うと、くすりと笑う。
「私のこと嫌い?」
「いいや」
「じゃあ、好きなんだ?」
 好きとは言ってないのになんでそうなるかな。俺は眉をひそめる。好きとか嫌いとかそういうことすら考えたこともないのに。
 回れ右をして再び歩き始めると、有馬由宇香は慌てて後を追ってきた。
「俺の親が何したって言うんだよ」
「あなたの母親は、私の母からあなたの父親を奪ったのよ。出来ちゃった結婚に持ち込んでね」
 確かに入籍した日と、俺が生まれた日とを計算するとそういうことになる。奪うために仕込ませたって? そこまでは分からないはずだろうに、なんだってそんな挑戦的な笑みを浮かべて俺を見るんだ。
 俺の存在は偶然なのか、必然なのか? 
 ふとそんなことが頭をよぎった。偶然なら、今こうして生きてることも偶然なんだろうか。確かに何かに生かされていると感じるほど必然とも思えない。そもそも本当に必要だったのか? 問いかけたくても相手はいない。はっきりと答えを手にすることが出来ない疑問ばかりで頭の中が占められていく。
 行き詰まって溜息をついた。
「で?」
「で、って?」
「俺にどうして欲しいんだよ。腹ん中戻れとでも言うのか? この間も言ったろ。憎んでる相手はもう死んでる」
「分かってるわ」
 そんなのはもうどうでもいいの、と彼女は呟いた。
「いないなら、仕方ないもの」
「じゃあなんで…」
「あなたを奪う」
「はぁ?」
 思い切り間抜けな声が出た。有馬由宇香は目を見開いたけど、すぐにふふっと笑った。
「言ったでしょう? 復讐だって」
 そう言うと、彼女はやっと解放してくれた。また後ろ姿をぼんやりと見送る。
「なんなんだよ…」
 気がつくとそう口にしていた。
 なんで死んでんだよ。
 4歳で俺をこの世に放り出した、あの二人。
 あの世というところが存在するなら、いつかまた会えたりするんだろうか? そしたらきっと、口にするのは文句ばかりだ。無性に腹が立ってきた。
 家に帰ると、なぜか美哉が親父といた。なんでエロ親父と一緒にいるんだよ。気に食わない思いが顔に出かけたけど、親父の意味深な笑みを見たら一気に引っ込んでしまった。美哉は美哉で、まるで見られたらまずいものを見られたみたいにおどおどしてるし。
「どうしたの?」
「えっ? いやぁ、ちょっとね」
 口ごもる美哉の脇を通り抜けて冷蔵庫に向かう。コーラを取り出して振り返ると、不安気な目をして俺を見ていた。
「なに?」
「別にっ」
「あっそう」
 美哉は俺から目を逸らした。ホントはこんな冷たく返すつもりはなかったのに。親父はソファの背もたれに体をだらしなく預けて、いつもののんびりとした口調で言った。
「なにカリカリしてんの。美哉ちゃんの恋の相談に乗ってただけだよ」
「別にカリカリしてない」
 ああ、これもウソ。悩みの種をさんざんばらまかれて帰ってきたところへこれだもんな。だいたい美哉の恋の相談って言ったら、つまりは俺のことじゃないかよ。さらにイライラしてきて、俺は親父を睨み付けて自分の部屋へ向かった。
 ベッドに寝転がって枕を抱え込む。なんでこう、イライラするんだろう? 大学に入ってからなんとなく、このスッキリしない気持ちが続いている。有馬由宇香が現れてからイライラはさらに増した。
 なにが悪いってわけでもない。そもそも理由もはっきりとしていないのだから、責めようがない。そんな状態がますます不愉快にさせる。
 コンコンと控えめなノックの音がした。
「椿?」
 様子をうかがうような小さな声。それを聞いて俺は目を強く閉じた。大きく息を吐く。
「なに?」
「…入ってイイ?」
 どうぞと答えると、音を立てないようにするりとドアが開く気配がした。
「あの、あのね、相談なんてしてないよ」
「気にしてない」
 ゆっくりと起きあがると、ベッドの脇に立つ美哉を見上げた。困ったような顔をして、美哉は口をへの字に曲げている。ウソだ、とその口から微かに漏れた。突っ立っている美哉の手を引いて隣に座らせた。
「だからって、美哉のせいじゃないし」
 そう、このイライラは美哉のせいじゃない。美哉は俯いたまま言った。
「またあの子に会ったんだ?」
「え? ああ、待ち伏せされてた」
「…そう」
 部屋をくるっと見渡すとまたぽつりと呟いた。
「理由は分かった?」
「手っ取り早く言えば略奪婚? 俺が出来たのを理由に奪ったからなんだとさ」
「そんなの、欠席裁判じゃない」
 美哉が眉をひそめて、俺は床に積んである本へ目を向けた。
「うん」
「タマゴの段階で、椿に邪魔する意志があったっていうの?」
「だよな」
 思わず笑いそうになったら、美哉はくるっと俺の方を向いた。
「じゃあ、なんで相手にするのよ?」
「なんで美哉がそんな顔するんだよ」
 半ベソになっていた美哉は、違うと言いながら顔を背けた。
「なあ、俺は偶然だと思う? 必然だと思う?」
「なにそれ」
「あー、つまり、あの人たちは出来ちゃった婚だったから」
 そう付け足すと、美哉は握り拳を俺に向かって振り上げてきた。慌ててその手を掴む。美哉は声を荒げた。
「出来たことは偶然でも、生まれてきたんだから必然でしょ。そんなの椿じゃなくても、誰だってそうだよ」
 立ち上がると、美哉はバカじゃないのと叫んだ。
「ごめん」
「謝るくらいなら、悩まないでよ」
「それはムリ」
 もう一度、手を引っぱって座らせると抱き寄せた。美哉が俺の肩に顔を押しつける。その部分のシャツがじわりと濡れて、美哉は鼻をくすんと鳴らした。俺はそっと頭を撫でた。
 有馬由宇香の言うとおり、俺はマゾなんだろう。
 こうして美哉に怒られて機嫌がよくなっているんだから。


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