-----  ラブリー


   >>> 15



 ベル・アンド・セバスチャンの弱っちい歌声をぼんやりと聴きながら、椿の手つきを見ている。なんでだろう? やってることはあたしと変わらないはずなのに、椿が入れるとおいしい紅茶が出来上がる。謎だ。
「サイモン・アンド・ガーファンクルに似てる」
「え?」
「“ベルセバ”」
「…ああ。当たってるような当たってないような」
 流れてくる音楽に耳を傾けると、椿はにやっと笑った。好きなのかけていいよって言われて、適当にジャケットのかわいさで選んでみたんだけど、のんびりとお茶を楽しむにはちょうどいいなとあたしは思った。でも歌ってる内容はどんぞこに暗いぞ、と椿は言った。言わなきゃ分かんないのに。
「気に入ったならMDにおとしてやるよ」
「うん」
 マグカップを受け取りながら、あたしは頷いた。
「なあ、美哉」
「んー?」 
「俺の前に、好きなヤツっていた?」
 出し抜けにそう言われて、あたしは舌をやけどしそうになった。
「な、なんで?」
「いや、なんとなく」
 好きな人? そういえば中学の時にひとつ上の学年の先輩をカッコイイなって思ったことはあった。ほとんどファンクラブのノリで騒いでただけだったけど、アレが好きな人のうちに入るなら、そうかもしれない。洗顔料のCMに出てきそうなくらい爽やかな笑顔を振りまく人だったなぁ、とあたしは当時のことを思いだした。
「ふーん」
 高校の時は? とさらに椿は尋ねる。どうしたんだろう、なにかあったのかな。 
「特にいなかったよ」 
「イヤじゃなかった?」
 話がよく見えなくて、混乱したまま、何が? と答えたら椿はテーブルの端の方へ目を向けて、ちょっと考え込むような仕草をしてから、またあたしの方を見つめた。
「俺は、美千代姉ちゃんが彼氏と電話で話してたりすんの、イヤだったけど」
 ああ…、なるほど。
「ていうか、あたしはなんで椿はお姉ちゃんを奪おうって思わないんだろ? って思ってたし」
「なんで?」
「なんでって、なんでだろう?」
 答えに困って、あたしは苦笑いをした。そのときは椿のことが好きなんて、これっぽっちも思ってなかった。みんなが急にカッコイイとかカワイイとか言い出してからのような気がするけど、意識し始めたのはいつなのか正確には分からない。決定打は、実は椿とお姉ちゃんの間に何かしらあったってことを知ったときだった。
「知らなかったら、そのままだったのか?」
 椿は意外そうな顔をした。
「…分からない。そんな『もしも』の話なんて、分からないよ」
 不服そうな椿に、あたしは眉をひそめた。
「椿だってそうでしょ? どうしてこんなこと訊くのよ」
「さあ。友達に訊かれたから、なんとなく」
 椿は頬杖をつきながら溜息混じりに言った。
「なんで俺なの?」
「『なんで』って? どういう意味?」
「そのままの意味だよ」
 ふいに渋谷駅のあの子が目の裏を掠めていった。まるで検査をされてる気分。前も、あたしを試すような事を言っていたのを思いだした。そういう時って、自分にやましいことがあるから相手を疑うんだって、どこかで聞いた。本当はもうあの子に心が動いてるから、だからそんなことばかりあたしに訊いてくるのかもしれない。答えようによっては、あたしは椿にぽいっと捨てられてしまうような気がした。
 ずっと頭の中でくすぶっていたことが口をついて出てしまいそうになって、あたしは誤魔化すように俯いた。
 『なんで』? どうしてそんなこと訊くんだろう。
「…理由がなきゃダメなの?」
「そうは言ってない」
 低い声。また溜息。この間に耐えられない。今にも椿の口から『不合格』って言葉が飛び出てきそうで、あたしは慌ててその場から離れた。椿がふうっと息をつくのが背中に刺さってくるみたいに感じる。その重い溜息を聞いたら涙が出そうになってきた。別のCDをかける振りして、あたしはラックの前に座り込んだ。
 椿はもうあたしのこと面倒くさいと思ってたりして。繋がってるのが、煩わしくなってたりして。そんなことばかりをぐるぐると考えながらCDを出したり引っ込めたり。目の前が霞んで選ぶまねをしてるだけだから、なにを手に取ってるかなんて少しも認識できない。
 ふっと近くに気配がして、体がびくりと震える。あたしの肩越しに椿の手が伸びて、さっきかけてたのとは別のベルセバのCDを椿が取り出した。
「11曲目」
 そう言いながらブックレットを手渡して、椿がプレイボタンを押す。
 11曲目のタイトルは『There's Too Much Love』、歌詞を見ろって言いたいんだろうけど、英語だからあまりよく分からない。椿があたしに覆い被さるようにして、歌詞のある部分を指さす。
 アイ、キャント、ハイド、マイ、フィーリングス、フロム、ユー、ナウ。
 その一行は理解できた。
 気持ちを隠しておくことが出来ない?
「それって…」
「『何で』っていうのは、つまり、一方的な気がして仕方ないんだ」
 あたしの肩先に椿の声が落ちてくる。その言葉の意味が理解できなかった。
「一方的?」
「美哉はそれでいいのか?」
 もう好きって気持ちはお互いに持ってはいないってこと? あたしだけ? 椿は好きじゃなくなったの?
 一方通行に、戻りたいの?
「それでも、糸は繋がってる?」
「当たり前だろ」
「だったら、いいよ」
 糸が繋がってるなら、それでいい。
 椿の腕にそっと触れる。この腕じゃなきゃダメ。ほかの人じゃダメなんだ。
 それだけは分かる。でも、それだけじゃダメなのかな。よく分からない。
 椿の目にはあたししか映ってないって、園子が言ってたことと、いかに高校までの人間関係が狭いかってのがよく分かるって、椿が言ってたことと。
 それってやっぱりあたし以外に眼に映る子が出来たってこと?
 チクショー、これは悲しい涙なんかじゃない。悔し涙なだけなんだ。
「泣かしてばっかりじゃねーかよ」
 苛立たしそうに椿が呟く。
 確かにそうかもしれない。最近、自分でも涙腺が緩いと思う。端から見たら分かりやすいくらいらぶらぶな関係に見られてたのに、なぜなんだろう?
 11曲目は最後の曲だったから、あっという間にCDは動きを止めてしまって、部屋はしんと静まり返った。
「ねぇ」
 あたしは体を動かした。ん、と椿も我に返ったように顔を上げる。顔が向かい合う形になると、椿はきまじめな顔をして、あたしの頬をきゅっとこするように涙を拭った。
 この顔を見てるだけでいいのに。
 独り占めしたいなんて思ってしまった罰なんだろうか。
 そのまま見つめ続けていると、椿がキスをしてきた。
 あんまりにも惨めな顔していたから同情されてしまったのかもしれない。あたしは慌てて唇を離す。
 え? と戸惑う椿に、これもMDにおとしてねと誤魔化すように笑いかけた。
「…ああ」
 椿はブックレットに目を落とすと、恥ずかしそうに目を逸らせた。
 もうこのまま消えてしまいたかった。


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