-----  ラブリー


   >>> 22



「ていうことはさ、美哉は俺に発情してるんだ?」
 そう言ったら、美哉はおもむろに俺の頬をつねった。
「っだだだだ」
「ほんっとにもう、何言い出すのよ」
 ふくれツラした美哉はふいと顔をそむける。横顔で思い出して、髪で隠れた耳をそっと覗いた。
「やっぱり」
「なにがっ?!」    
 触れた途端、美哉は飛び上がって体をのけ反らせながら声を張り上げた。そんなに驚かなくても、と思ったけど、耳はくすぐったいからダメなのと凄まれた。
 どさくさに紛れていいこと聞いたとほくそ笑んでると、何がやっぱりなの、と美哉が眉根を寄せる。
「ああ、そうそう。やべっと思ったときにはカラカラ音させながら掃除機に吸い込まれていってさ。ゴミパック解体して見つけるの大変だった」
 シャツのポケットからピアスを取り出すと、それを美哉の目の前にかざした。
「せっかく見つけてやったのにそういう反抗的な態度取ると、また吸い込むぞ」
 美哉はあっと言ったきり、口をぽかんと開けたままだ。
 さては無くしたことも忘れてたんだろうと思ったら、いきなり丸くした目から涙をぼろぼろと落としだした。
「えっ、いや、バカ。冗談だよ」
 慌てて美哉の手を掴むとピアスを握らせた。でも美哉は涙を拭うこともせず、ただ泣き続ける。
「なんだよ、出てきたんだから…」
「違うの、ごめんなさい」
 ようやく涙を拭いながら美哉は言った。
「無くしちゃって、もう見つからないのかと思ってた」
 黙っててごめんなさいと振り絞るようにそう言うと、また美哉の顔が歪みはじめる。この間からなんとなく浮かない顔してたのは、このせいだったんだろうか。だったらもっと早く渡してやれば良かった。そう後悔してももう遅い。
「あああ、分かったから、もういいって。泣くな」
 頭を掴んで、俯く美哉の顔をこっちに向けさせる。
「また無くしても、探してやるから」
 ふ、と声が漏れて、じわりと目が潤み出す。
「だから泣くなっつってんだろ」
 頭を掴んだ手に力が入って、つい怒鳴ってしまう。美哉はぱちぱちと瞬きをした。
 結局どう頑張っても俺は美哉を泣かせてしまう。
 でも。
 俺が有馬由宇香に鞍替えしたんじゃないのかって、どうやったらそんなとんちんかんな発想が出来るんだろう。あんなに機嫌悪くしてたのに。
「ったく、しょうがないな」
 美哉のまぬけっぷりになんだか笑いがこみ上げてくる。 
「…なによ、なんで笑うのっ」
「だって、不安がらせたのは悪かったけど。俺が浮気って…」
 必死に笑いをかみ殺していると、涙の跡をうっすら残したまま、美哉が憮然とした表情になる。 
「椿だってねぇっ、あたしが学校でどんなか知らないでしょう?!」
「どんなって?」
「何かあるんじゃないのかって疑ったじゃない」
 ああ、だけどすぐに思い直したんだ。
「…学校、女子大でしょ?」
「そうだけどっ」
「美哉が進んで合コンとかに行かない限り、あり得ないだろ?」
 両手を握りしめて、美哉は悔しそうな顔をする。
「でも、高校の時みたいに、美哉狙ってる男を後目に傍にいる機会が減ったのはつまんないかもな」
「え?」
「気付いてなかった? ま、俺も無意識に牽制してたからな」
 美哉は上目使いで俺を睨みながらズルイよと呟いた。
 あの頃を思い出すと感慨深いものがある。振り返れば、美哉に出会ってからずっと、俺は美哉に近付く奴を排除してきたようなもんだった。そういう無意識レベルでの行為は、俺の与り知らぬ所で、まるで体内に埋め込まれたマイクロチップ並に密やかに存在し、そして絶大な働きをしていた。
 美哉への気持ちと同じく、そういうものが潜んでいることに気がついた時には我ながら感心したけど。
 だけどまあ、気付いてしまえばこっちのもので、あの時ほど威嚇が楽しいと感じたことはなかった。野郎共はすごすごと身を引いてたっけ。
「意識して牽制できたのはほんの僅かな期間だったけど、けっこう快感だったよ」
 途端に美哉が俺の胸を叩いた。
「いて、なんだよ」
「椿って性格悪い」
「その通り」
 バカじゃないの、と美哉は何度もこぶしをぶつけてくる。その手を取ると美哉の顔を覗き込みながら言った。
「キスしてよ」
「なっ、何言って…」
 ゆでダコのような顔で美哉は狼狽する。畳みかけるようにもう一度言った。
「キスして」
 抱え上げるようにして、動揺して暴れる美哉を膝の上に座らせた。美哉の目は泳ぎっぱなしだ。俺を見下ろすような形になって、ようやくふてくされた顔をこちらに向けた。
「あたし怒ってるんだからねっ」
「うん」
「ほんとに怒ってるんだからっ」
「うん」
 怒ってることが逆に嬉しくて仕方ないのに。それにようやく気付いたのか、美哉はぐっと息を詰まらせた。邪心のこもった目で見つめる俺に美哉は眉をひそめる。それにも屈せずににやりと笑ってみせると、観念したように小さく息を吐いた。
「もう、なんだかすっごくバカみたいじゃないのよ」
「だってしょうがないじゃん、バカみたいに好きなんだからさ」
 そう言いながら見上げると、美哉の顔がさらに赤くなった。
「だからキスして」
 意を決したように俺の肩に手を置くと、美哉はそっと顔を近づけてくる。と思ったら、ぐいっと顔を引いた。
「なに」
「なに、じゃない! なんで目開けたままなのっ」
 憤慨して美哉は叫ぶ。
「別に気にしなくていいよ」
「気にするっつーの! 目つぶらないとしてあげない」
 ううっと唸る美哉に、分かったよ、としぶしぶ目を閉じる。
 あ、ヤバイ。
 目の前が真っ暗っていう状態に妙に心拍数が上がってしまう。
 美哉はいつもこんな気分で待ちかまえているんだろうか?
 だとしたら、ずるい。
 唇にふっと柔らかいものが押しつけられて、その瞬間、美哉の背中に何となく回していた手に力が入った。
 美哉が小さく声を漏らす。
「知ってる? そういう声を聴けるのって、世界中で俺しかいないんだ」
 美哉は微かに目を見開いた。俺から逃れようと体を捩らせながら、我慢してやると呻く。そうはさせるかと腕に力を入れた。
「なんで? もっと聴きたいんだけど」
 耳元で囁くと、バカ椿、と肩に額を押しつけてきた。
「あのさ、今さらなんだけど。俺あの人にキスされた」
「…」
 肩に頭を載せたまま、反応がない。
「あの、誤解のないように言っとくけど、されたんであってしたんじゃないから」
「…」
「今みたいに、舌とか入ってないし」
 僅かに体がぴくりと反応した。だけどまだ無言。
「えーと、もしもし?」
 髪を撫でるように頭に手を置いてみる。がぶり、と肩に鈍い痛みが走った。
「…ってぇ」
「なんでこういうときにそういうこと言うのよ」
「だからって噛むなよ」
 ゆらりと体を起こすと美哉は低く呟いた。
「これは烙印」
「その言葉…なんかものすごい的を射てて反論できない」
 ふふんと美哉は得意げに笑う。
「今度そんなことがあったら、こんなんじゃ済まないんだから」
「じゃあ、罪滅ぼしにさっきの続きさせてよ」
 途端に美哉の顔からさっと笑みが引いた。
「それって罪滅ぼしにならないと思う」
 そう言うけれど、引き寄せると素直に従ってくる。
 このときばかりはバカップルの血を引いていて良かったと心底思った。


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