-----  ラブリー


   >>> 8



 この人は、普段一体何をしてるんだろう。
 そう思いながら有馬由宇香を見下ろす。あの日以来、毎日のように放課後の俺を待ち伏せては後をついてくる。今日は渋谷に寄るけど、どうもそこまでついてくる気らしい。カンベンしてくれよ。
「暇だね」
「あなたのせいで忙しいのよ。授業も代返して貰ったりしてるんだから」
「わざわざそんなことをする価値があるの」
 訊けば俺よりひとつ年下だけど、私立女子大の一年生らしい。高校3年生をすっ飛ばして大学生になれる学校っていったらあそこだよな。そんなとこに通ってるくらい利口なら、なんでこんなことをやろうと思えるんだろう。謎だ。
「友達なくすよ」
「うるさいわね」
「よぉ、北野」
 渋谷駅のハチ公口で手を振る麻生に俺は手を振り返した。
「久しぶり。っておまえ、美哉ちゃんはどうしたんだよ」
 隣にいる有馬由宇香と俺を交互に見ると、麻生は二股? とのたまった。
「殺すぞ」
「んなわけないよなぁ。で、誰?」
「知らない。ここ数日絡まれてる」
「キタノって?」
 有馬由宇香は突然、ぽつりと呟いた。麻生は俺を指さしながら、こいつでしょと答えた。
「蝦沢じゃないの?」
 今度は麻生が不思議そうな顔をした。    
「エビサワって?」
「俺の昔の名前」
「きたのえびさわ?」
 アホか、と突っ込む。
「ホントの両親は事故で死んだから。俺、養子なんだよ」
 吐き捨てるように言うと、麻生はえ? と動揺して俺の顔を見た。その視線から顔を背けようと改札の方を向くと、美哉が立っていた。
「ごめん、待った?」
 美哉は硬い表情でそう言うと、控えめな笑みを浮かべた。俺が自分から誰かにそういう話をするのは初めてだったから、美哉も驚いたんだろう。
「うわ、なんか美哉ちゃんかわいくなったなぁ」
 取りなすように麻生が声を上げた。頬を赤くして美哉が笑った。
「と言うわけで、君の母親のことも君が俺に構う目的も、何一つ分からない」
 俺は振り返ってぽかんとしている有馬由宇香を見た。彼女は唇を噛むと、美哉を押しのけて入り口側の改札に向かって歩いていった。美哉はその後ろ姿を見つめてから俺のそばに寄ってきた。
「誰?」
「有馬由宇香。母親の旧姓は盛田多佳子」
 で? と麻生が訊いた。
「それしか分からない。ああ、S女子大の一年生らしいよ」
「で?」
 再び麻生が言う。
「だから、ホントにそれだけしか知らないんだよ。ある日突然、復讐だって言われてつきまとわられてる」
 美哉の顔を見ながら、俺は答えた。
「はあ? 復讐? 新手の告白かな。にしてもカワイイ子だったけど怖えぇな」
 麻生が交差点に向かって歩き出す。不安げな表情の美哉の背中を押して、麻生の後に続くよう促した。
「ホント?」
 小さな声で美哉が訊いた。
「気味悪がらせる必要もないかと思って」
 だから言わなかったのは本当だ。そっか、ともう一度駅の方を振り返って美哉は言った。
 同窓会と言うにはささやかな飲み会を三人で開こうという日。こんなことで美哉にあの子の存在がばれてしまったのはついてなかった。ばれないで縁が切れるにこしたことはないけど、いわゆるカミサマってヤツはそうはさせてくれないらしい。
 大学に入ったら麻生の女関係はどうなるんだろうと思っていたら、意外にもまだ独り身だった。
「なんかさ、初めて自分からおとしたいっていう子に出会ったんだわ」
 麻生は恥ずかしそうにそう言った。今までが異常と言えば異常だったからな。美哉はすっかりはしゃいで女の子の心理というものを伝授している。
「麻生、あんまり真に受けるなよ。もしかしたら願望という名の妄想が混じってるかもしれないぞ」
 途端に美哉はふくれ面になる。
「ウルサイなぁ、椿は黙ってなさい」
 麻生はくすくすと笑い出した。
「北野と美哉ちゃんは相変わらずなんだな」
 そうかな、と顔を赤らめる美哉に麻生はそうだよと返す。
「なんていうか、安心するよ、見てて。やっぱ彼氏彼女の関係になる前が長いからかな。このまま素直にゴールインしそうというか。あ、もしそうなったら招待してね」
 麻生はワインをぐっと空けると、ちょっとトイレと席を立った。何となくぎこちない空気が流れる。ゴールイン、つまり結婚か。そんなことは今まで考えたこともない。言われてみればどうなんだろうなと美哉を見てみた。美哉も麻生の言葉を意識したのか、少し顔を強張らせてえへへと笑った。
 今は一緒にいたいけど、そういう気持ちがいつまで続けば一生を共にする相手に昇格するんだろう? そのへんがピンとこない。俺はモスコミュールを飲み干した。
 父親が母親と結婚しようと思った決め手はなんなんだろう。
 なにかきっかけとなるようなことでもあったんだろうか。
 そして、盛田多佳子ではなくて、どうして千ヶ崎純を選んだんだろう。
 うっすらと記憶の奥底で甦る。父が物静かな人だったのは覚えてる。遺伝子学を研究していて、生きていたらその世界では名の通った人になっていただろうと言われていたらしい。だけど、そんな父親が取り組んでいた研究も、今では誰かが受け継いでいて、そいつが父親の代わりに有名になってしまうんだろう。世の中というのは、ほんの僅かな隙間にうまく潜り込んだ者の勝ちという気がしてくる。ある意味、冷酷だ。
 父親は何を見つけたかったんだろうか。それが知りたいという理由が、ぎりぎりまで目的の見つからなかった進学への糸口となったようなもんだった。その隙間を奪い返すとまでは行かなくても、本来なら父親が手にしていた結果を俺の手で得てみたい。
 今も二人が生きていたら、どんな風に時を重ねていたんだろう。俺ももう少しまともな性格でいられたんじゃないだろうか。生きてたら、有馬由宇香がなぜ俺に復讐したがるのか、その理由もきっとすぐ分かるはずなのに。
「椿?」
 美哉に顔を覗き込まれて我に返る。
「眉間にしわが寄ってる」
 指でぐいっと押されて、苦笑しながらその手を取る。
「もしかして、酔って気分悪くなった?」
「いいや。考え事」
「さっきの女の子のこと?」
「それを知りたいのは美哉の方だろ」
 そんなことないよ、と美哉は誤魔化すようにカシスソーダを一口飲んだ。
「ほんとにいきなりで俺も訳分かんないんだってば。両親の話出されてもな」
 美哉は目を丸くする。
「さっきはそんなこと言わなかった」
「ばーか、麻生の前で言えるか」
「俺がなに?」
 トイレがメチャ混みだったとぼやきながら麻生が座る。
「美哉がカッコよくなったってさ」
「えっ、うそ。マジで?」
 いきなり何を言い出すんだとばかりに美哉は俺を睨み付けた。そんなことにはお構いなしに麻生は目を輝かせる。
「それなら北野捨てて俺に乗り換えようよー」
「さっきまで惚れた子の話延々してたくせに。誰がそんなことさせるか」
「なんだよ、結局のろけかよ」
 麻生はやれやれと溜息をつく。
「なんかさ、北野って化けの皮剥がれるとけっこう性格悪いのな」
「化けの皮言うな」
 美哉は憮然とした俺を見て、必死に笑いを堪えている。
「美哉ちゃんもよくこんなやつとつき合ってられるよな」
「これでもね、けっこうカワイイところがあるんだよ」
「ほんと? 教えて」
「教えなくていい」
 ぴしゃりと言い放つと麻生はちぇっと上目遣いで俺を見る。
「でも俺、今の北野の方が好きだわ」
 突然、そう言れて目を丸くする。麻生は嬉しそうにふふっと笑った。
 帰り道の途中に、ふと気がついた。
 今もあの二人が生きていたら。
 こうして美哉と並んで駅からの道をぶらぶら歩くことはないのかもしれない。
 恐らく美哉と出会うこともないまま、別の人生を歩んでいたはずだ。
 どちらの人生が俺にとってベストだったんだろう? 両親が生きていたら、俺は美哉がいなくても幸せでいられる日々を送れたのだろうか。美哉が側にいるのと同等の幸せな生活。それはどんなものなんだろう。
 そう考えると複雑だった。隣にいる美哉にちらりと目をやる。
 もしどちらかを選べたのなら、俺はどちらを取るんだろう。
「ねぇ、椿」
 美哉が俺のシャツの袖を掴んだ。
「なに」
「よかったね」
「なにが」
「麻生君、今の椿が好きだって」
 美哉は、まるで自分のことのように頬を赤らめながら、満面の笑みでそう言った。言葉が出なくて、美哉の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「あー、もうっ。なにするのよ」
 俺の手から逃れるように美哉は体をよじって怒る。そうしながら、また呟いた。
「よかった」
 美哉が手を差し伸ばす。手を繋ぐと、美哉は微笑んだ。


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