|コラム||森家史料
森家年譜 №8【赤穂藩・三日月藩・新見藩Ⅲ】
-文化5(1808)~明治元(1868)-
更新 2009/2/2

《年譜》
年 号 西 暦 干 支 天 皇 将軍事    項 森家当主
文化51808戊辰光格家齊赤穂 ☆7.6 前藩主忠贊女宮(定・照)、江戸に於いて誕生す。母は九鬼氏[大系図、華族]。
☆8.9 前藩主忠贊女子福、江戸に於いて誕生す。母は哥江[大系図]。
☆8.15 可睦(忠敬)、はじめて将軍家齊に拝謁す[大系図]。
☆9.27 可睦(忠敬)、五節句月次登城のところ、足痛・小用頻繁につき快方まで暫く見合わせの儀を届け出る[大系図]。
☆11.7 赤穂前藩主森忠贊子猪松(長篤)、長義養子として三日月藩へ引き移る〔大系図〕。
☆12.2 赤穂藩、大坂役青木覚平に命じて損傷激しい京都阿弥陀寺の蘭丸・坊丸・力丸墓台座を築かしむ。青木、大坂より石工を連れて成就す[実録3]。
☆12.3 京都阿弥陀寺に於いて森三兄弟墓所台座回向執行。赤穂藩、青木覚平に命じて住僧・寺中和尚・弟子等へ金銀を遣わし、且つ供物料白銀2枚・斎料白銀2枚・香典金300疋を献ぜしむ[実録3]。
☆12.14 前藩主忠贊子龍也、早世す(2歳)。法名「梅光院殿一點峯雪禅童子」、瑠璃光寺に葬る[大系図]。
忠敬(15)
三日月 ☆11.7 赤穂前藩主森忠贊子猪松(長篤)、長義養子として三日月藩へ引き移る〔大系図〕。 長義(22)
新見 長輝(32)
旗本他 ☆4.6 旗本森亀十郎長延(左兵衛家)、病気につき願の通り隠居し、嫡子左京長格家督を継ぎ、小普請組に入る[可政]。
☆4.13 作州津山藩士山田主膳栄懹の女子於慶(よし)、誕生す。母は赤穂藩森衛守正賀(縫殿家)女於真[可政]。
文化6 1809 己巳 光格 家齊 赤穂 ☆正.21 京都大徳寺真珠庵役者宸首座、赤穂藩へ森家祖可秀位牌所持の旨を報ず〔実録1〕。
☆4.19 可睦(忠敬)、本所御蔵火番を命ぜられる〔大系図〕。
☆5 可睦(忠敬)、「森家先代実録」凡例追考を作成す〔実録1〕。
☆8.15 可睦(忠敬)、西川左太郎へ扶助米60俵を安堵す〔柴田家文書〕。
☆9.3 可睦(忠敬)、元服の儀を幕府に伺い出る〔大系図〕。
☆9.15 可睦(忠敬)、幕府に願い出てはじめて月次出仕す〔大系図〕。
☆9.27 森衛守正賀(縫殿家)、女於昭と各務兵庫正章との縁組願許可される〔可政〕。
☆10.6 赤穂藩、領内へ酒・醤油・豆腐の値段を定める〔楢原村文書〕。
☆11 赤穂藩、領内東西浜方取締を申渡す〔柴原家文書〕。

☆12.16 忠敬、従五位下美作守に叙任す〔諸家譜〕。
☆12.25 可睦(忠敬)、来春参向の院使御馳走役を命ぜられ、本所御蔵火番は免ぜらる〔大系図〕。
忠敬(16)
三日月 ☆5.20 長義、隠居し、養子長篤が家督を継ぐ〔諸家譜〕。 長義(23)
長篤(13)
新見 長輝(33)
旗本他
文化7 1810 庚午 光格 家齊 赤穂 ☆3.2 可睦(忠敬)、当春参向の院使唐橋前中納言の御馳走役を勤無[大系図]。
☆4.13 忠贊子定千代(可度、青木内膳正養子、のちの谷播磨守衛封)、江戸に於いて誕生す。母は九鬼氏[大系図、華族]。
☆4.18 可睦(忠敬)、はじめて在所への暇を賜る[大系図]。
☆5.17 可睦(忠敬)、はじめて赤穂に入部す[大系図]。
☆6.25 森衛守正賀(縫殿家)妻於壽(はじめ仲、岡山藩士池田要人信行妹)、死去す(53歳)。法名「観光院殿寂照妙室大姉」、墓所赤穂隨鴎寺[可政]。
☆10.24 忠贊女福、早世す(3歳)。法名「玉珠院殿瑶室貞琳禅童女」[大系図]。
☆12.25 忠贊女崇、戸田麟平に嫁す[大系図]。
忠敬(17)
三日月 ☆是歳 隠居長義子 (のちの佐渡守長國)が誕生す[華族]。 長篤(14)
新見 ☆2.11 前藩主東鶴翁(長誠)、死去す(66歳)〔諸家譜〕。 長輝(34)
旗本他 ☆6.17 作州津山藩士山田主膳栄懷女子於信(のち八代野)、誕生す。母は森衛守正賀(縫殿家)女於真[可政]。
文化8 1811 辛未 光格 家齊 赤穂 ☆2.27 忠贊子徳之助(可象)、江戸に於いて誕生す。母は哥江〔大系図、華族〕。
☆2 儒臣村上中所(勤)、「森家先代実録」序文を撰す〔実録1〕。
☆②.19 可睦(忠敬)、赤穂発駕。領内を視察し、有年駅に止宿す〔大系図〕。
☆②.20 可睦(忠敬)、赤穂帰城〔大系図〕。
☆4.朔 可睦(忠敬)、参府〔大系図〕。
☆8 縫殿家森正賀、「森可政系図伝」を編纂す〔可政〕。
☆9.5 赤穂藩、他書よりの借銀を規制する〔楢原村文書〕。
☆11.朔日 前藩主忠贊女律、落合鉄吉に嫁す〔大系図〕。
☆是歳 赤穂藩編纂の家史「森家先代実録」(28巻・補遺2巻・絵図3枚)完成す〔実録1〕。
忠敬(18)
三日月 長篤(15)
新見 長輝(35)
旗本他 ☆5.25 作州津山藩士山田主膳栄懷女子於慶(母は赤穂藩縫殿家衛守正賀女於真)、早世す。法名「智泉院殿蓮譽清香童女」〔可政〕。
文化9 1812 壬申 光格 家齊 赤穂 ☆4.3 可睦(忠敬)、美作守を越中守に改める〔大系図〕。
☆5.15 可睦(忠敬)、赤穂帰城[大系図]。
☆5.29 可睦(忠敬)、日光東照宮へ家督につき雄剣1振・籠蹄1匹を使者を以て献上す[大系図]。
☆7.14 前藩主忠贊子江戸に於いて誕生すれども即日早世す。母は哥江。法名「俊叟義孝禅童子」、瑠璃光寺に葬る[大系図]。
☆11.23 前藩主忠贊女欽、京極備後守に嫁す(夫死後落飾して凉地院と号す)[大系図]。
忠敬(19)
三日月 ☆12.16 長篤、従五位下對馬守に叙任す[三日月森]。 長篤(16)
新見 長輝(36)
旗本他
文化10 1813 癸酉 光格 家齊 赤穂 ☆3.13 旗本森次郎兵衛政宣(次郎家)妻恒(赤穂森忠洪女)卒す。法名「慈松院殿春峯貞諒大姉」、谷中南泉寺に葬る[大系図、可政]。
☆4.朔 可睦(忠敬)、参府[大系図]。
忠敬(20)
三日月 長篤(17)
新見 長輝(37)
旗本他 ☆正.2 作州津山藩士山田主膳栄懷女子松野、誕生す。母は赤穂藩森衛守正賀(縫殿家)女於真[可政]。
☆2.27 旗本森次郎兵衛政宣(次郎家)子馬五郎和通、死去。法名「青雲院殿」、墓所南泉寺[可政]。
☆3.13 旗本森次郎兵衛政宣(次郎家)妻恒(赤穂森忠洪女)卒す。法名「慈松院殿春峯貞諒大姉」、谷中南泉寺に葬る[大系図、可政]。
☆9.17 旗本森次郎兵衛政宣(次郎家)女子で山本又次郎養女の於里、死去[可政]。
文化11 1814 甲戌 光格 家齊 赤穂 ☆2.4 可睦(忠敬)子鏆之助、江戸に於いて誕生す。母は家女千里(江戸の人)〔大系図〕。
☆5.22 可睦(忠敬)、赤穂帰城〔大系図〕。可睦(忠敬)子鏆之助、共に赤穂へ来たる〔大系図〕。
☆8.24 森衛守正賀(縫殿家)女於昭(各務正章婚約)、死去す。法名「清心院殿智玉妙映大姉」、墓所赤穂隨鴎寺〔可政〕。
忠敬(21)
三日月 長篤(18)
新見 ☆2.21 長輝嫡子成煥、将軍家齊に初めて拝謁す〔江戸幕臣人名事典〕。 長輝(38)
旗本他 ☆4 久留里藩森光厚(光福祖父・久留里家)、家老に再任される。これにより光福、光厚の嫡子となる〔黒稿下〕。
文化12 1815 乙亥 光格 家齊 赤穂 ☆正.8 夜、赤穂にて家臣各務兵庫屋敷より出火。侍屋敷6軒・作事小屋焼失す[大系図]。
☆4.朔 可睦(忠敬)、参府[大系図]。
☆4.16 可睦(忠敬)、呉服橋御門番を命ぜられる[大系図]。
☆6.15 可睦、名を忠敬と改名す[大系図]。
☆6.22 忠敬、酒井河内守忠実女東との婚姻整う[大系図]。
☆10.10 前藩主忠贊、持病眩暈による帰国、作州湯郷温泉の湯取寄入湯、願いにより認められ、江戸発駕[大系図]。
☆10.18 忠敬女斓、赤穂に於いて誕生す母は家女千里[大系図]。
☆11.朔 前藩主忠贊、赤穂帰城[大系図]。
☆12.4 忠敬、来春参向東宮使の御馳走役を命ぜられ、呉服橋御門番を免ぜられる[大系図]。
忠敬(22)
三日月 ☆正.15 隠居森長義子 (のちの新見関但馬守長道)、誕生[華族]。 長篤(19)
新見 長輝(39)
旗本他 ☆8.23 作州津山藩士山田主膳栄懷女子雪野、誕生す。母は赤穂藩森衛守正賀(縫殿家)女於真[可政]。
文化13 1816 丙子 光格 家齊 赤穂 ☆2.13 前藩主忠贊、湯治相応につき帰府を願い出た上で赤穂発駕〔大系図〕。
☆2.29 前藩主忠贊、帰府〔大系図〕。
☆3.28 忠敬、当春参向の東宮使庭田中納言の御馳走役を勤む〔大系図〕。
☆4.7 将軍家齊大納言兼任につき忠敬、使者を以て太刀・馬代を献上す〔大系図〕。
☆4.21 忠敬、在所への暇を賜るところ、病気につき滞府を願い出る〔大系図〕。
☆4.22 豊後岡藩士伊藤作内左衛門幸猛、美濃可成寺を訪ねて森忠政室「チボ」(中川清秀女)の没年等を調査すれども判明せず〔中川氏御年譜付録1〕。
☆6 赤穂藩、塩の国産仕法を定める〔御産物申渡扣〕。
☆⑧.13 忠敬嫡男勝蔵(忠貫)、江戸に於いて誕生す。母は正室東(酒井氏)〔大系図〕。
忠敬(23)
三日月 ☆⑧.24 長篤、卒す(20歳)。法名「長篤院殿鶴林日山大居士」、武州池上大坊本行寺に葬られる〔大系図、三日月森〕。
☆10.16 長國、養父長篤の遺領を相続す〔江戸幕臣人名事典、華族〕。
☆10.21 長國、名代を以て家督御礼す〔江戸幕臣人名事典〕。
長篤(20)
長國(7)
新見 長輝(40)
旗本他 ☆3.15 旗本隠居森亀十郎長延(左兵衛家)、死去す〔可政〕。
☆9.29 会津藩家老西郷頼母、久留里藩森光厚(久留里家)家に来訪。その際先代光嶢後室美喜子(久留里藩主黒田直純女)、病を発して急死す(71歳)。法名「貞感院妙喜日光大姉」、深川淨心寺に葬られる〔黒稿下〕。
文化14 1817 丁丑 光格 家齊 赤穂 ☆5.11 忠敬子韙三郎正綽、江戸に於いて誕生す。母は家女定(江戸の人)[大系図]。 忠敬(24)
三日月 長國(8)
新見 長輝(41)
旗本他
文化15
文政元
★4.22
 改元
1818 戊寅 光格
仁孝
家齊 赤穂 ☆3.23 忠敬子銓道丸(のちの越中守忠徳)、江戸に於いて誕生す。母は正室東(酒井氏)[大系図、華族]。
☆4.13 忠贊女朋、米津伊勢守に嫁す[大系図]。
☆5.16 忠敬、赤穂帰城[大系図]。忠敬子韙三郎正綽も父と共に赤穂に来たり、家臣森縫殿賛張養子となる[大系図]。
☆11.11 忠敬子慎之丞(可壽、のちの森正朝養子)、赤穂に於いて誕生す。母は小坂氏江川(江戸の人)[大系図、華族]。
☆12.朔 前藩主忠贊女鏈、青木甲斐守嫡子源五郎に嫁す[大系図]。
忠敬(25)
三日月 長國(9)
新見 長輝(42)
旗本他 ☆5.10 作州津山藩士山田主膳栄懷男子徳三郎、誕生す。母は森衛守正賀(縫殿家)女於真[可政]。
文政2 1819 己卯 仁孝 家齊 赤穂 ☆3.朔 卯上刻、森縫殿賛張(縫殿家)女於愛、誕生す。母は安藤主税 成(津山藩士)叔母於鶴(賛張妻)〔可政〕。
☆3.28 前藩主忠贊、「右兵衛佐」から「美濃守」と改める〔諸家譜〕。
☆3.22 忠敬、参府〔大系図〕。
☆4.28 忠敬、本所御蔵火番を命ぜられる〔大系図〕。
☆6.29 赤穂藩、塩の国産仕法定書を発す〔柴原家文書〕。
☆11.25 忠敬子鏆之助、卒す(6歳)。法名「空華院殿無幻良影禅童子」、花岳寺に葬る〔大系図〕。
忠敬(26)
三日月 ☆9.21 前藩主長義、河内守から伯耆守に改める〔諸家譜〕。 長國(10)
新見 ☆11.21 長輝隠居し、成煥が家督を継ぐ〔江戸幕臣人名事典、諸家譜、華族〕。
☆12.13 前藩主但馬守長輝、右京亮に改める〔諸家譜〕。
☆12.16 成煥、従五位下備前守に叙任す〔江戸幕臣人名事典、諸家譜〕。
☆12.22 成煥、官位御礼〔江戸幕臣人名事典〕。
長輝(43)
成煥(22)
旗本他 ☆6.10 久留里藩家老森清太夫光厚(久留里家)、病死す(76歳)。法名「光正院元雅日厚居士」、墓所深川淨心寺[黒稿下]。
☆6 森光厚(久留里家)嫡子(実は孫)森清太夫光福、光厚遺跡を継ぐ[黒稿下]。
文政3 1820 庚辰 仁孝 家齊 赤穂 ☆4.10 忠敬子三郎(可時、のちの由良貞靖養子)、江戸に於いて誕生す。母は正室東(酒井氏)[大系図、華族]。
☆4.18 忠敬、在所への暇を賜るところ、病気につき滞府を願い出る[大系図]。
☆5.朔 忠敬、本所御蔵火番御免[大系図]。
☆12.26 前藩主忠贊子虎熊(衛封)、青木内膳守の請いにより谷家の養子となり名を鷹之助衛封と改める[大系図]。
忠敬(27)
三日月 長國(11)
新見 成煥(23)
旗本他
文政4 1821 辛巳 仁孝家齊赤穂 ☆正.14 赤穂藩、諸職人の作料を定める〔柴原家文書〕。
☆正.18 芝新細町より出火。大火となり赤穂藩邸類焼す〔大系図〕。
忠敬(28)
三日月 長國(12)
新見 成煥(24)
旗本他
文政5 1822 壬午 仁孝 家齊 赤穂 ☆5.15 忠敬、病後の御礼を申上げ、将軍家齊・嫡子家慶に干鯛1箱宛献上す〔大系図〕。
☆6 忠敬、赤穂帰城〔大系図〕。
☆10.4 赤穂藩、浜方・船方の御定法を発す〔浜方船方御定法御請印形〕。
☆10.7 赤穂領内の浜方・船方、去る4日発布の御定法に従う旨請印す〔浜方船方御定法御請印形〕。
忠敬(29)
三日月 長國(13)
新見 成煥(25)
旗本他
文政6 1823 癸未 仁孝 家齊 赤穂 ☆2.7 忠敬、越中守を肥後守と改める〔大系図〕。
☆3.27 忠敬、江戸参府〔大系図〕。
☆12.11 赤穂藩、勝手向不如意につき御用金返済を停止する〔楢原村文書〕。
忠敬(30)
三日月 長國(14)
新見 ☆11.30 前藩主右京亮長輝、主計頭と改める〔諸家譜〕。 成煥(26)
旗本他
文政7 1824 甲申 仁孝 家齊 赤穂 ☆5下旬 忠敬、発病。重体となる〔大系図〕。
☆6.4 忠敬、卒す(31歳)。法名「法性院殿禅岳悟空大居士」、瑠璃光寺に葬る。室東(酒井氏)は落飾して法雲院と号す〔大系図、系図纂要、華族〕。
☆8.5 忠貫、父の遺領を相続す。名代溝口伯耆守(新発田城主)〔江戸幕臣人名事典、大系図、系図纂要、華族〕。忠貫、西川吉右衛門へ扶助米60俵を安堵す〔柴田家文書〕。
☆8.15 忠貫、家督御礼。名代市橋主殿頭〔江戸幕臣人名事典〕。
☆⑧ 赤穂藩、領内に倹約令を発す〔楢原村文書〕。
☆10.7 赤穂藩、正銀ならびに他領の銀札の通用を禁止する〔楢原村文書〕。
☆12 赤穂藩、町中へ閏8月の倹約令を周知せいむ〔楢原村文書〕。
忠敬(31)
忠貫(9)
三日月 長國(15)
新見 成煥(27)
旗本他 ☆8.11 久留里藩士芝山傳治左衛門正善4男伸八郎(のちの久留里家森光新、森光福養子)、久留里藩両国藩邸に誕生す[黒稿下]。
文政8 1825 乙酉 仁孝 家齊 赤穂 忠貫(10)
三日月 長國(16)
新見 成煥(28)
旗本他
文政9 1826 丙戌 仁孝 家齊 赤穂 ☆4.19 忠貫、本所御蔵火番を命ぜられる〔大系図〕。 忠貫(11)
三日月 ☆10.15 長國、将軍家齊に初めて拝謁す〔江戸幕臣人名事典〕。
☆10.25 長國、年始・八朔・五節句登城の書付を提出す〔江戸幕臣人名事典〕。
☆12.16 長國、従五位下佐渡守に叙任す〔江戸幕臣人名事典、諸家譜〕。
☆12下旬 長國、官位御礼〔江戸幕臣人名事典〕。
長國(17)
新見 ☆9.20 前藩主長輝、死去(50歳)〔諸家譜〕。 成煥(29)
旗本他 ☆8.9 久留里藩森光福(久留里家)長女「鋓」、久留里藩江戸本所石原藩邸にて誕生す[黒稿下]。
文政10 1827 丁亥 仁孝 家齊 赤穂 ☆5.28 忠貫、卒す(12歳)。法名「顕良院殿鶴山伯一大童子」、瑠璃光寺に葬る[大系図]。
☆6.4 落合鉄吉室律(前藩主忠贊女)、卒す(42歳)。法名「慧鏡院殿寂光智照大姉」、四谷全勝寺に葬る[大系図]。
☆6 忠貫弟銓道丸(忠徳)、兄に成り代わりて忠貫と称す[大系図]。
忠貫(12)
忠徳(10)
三日月 長國(18)
新見 成煥(30)
旗本他
文政11 1828 戊子 仁孝 家齊 赤穂 ☆是歳 忠贊女宮、酒井伊賀守に嫁す(のち不熟につき離縁)[大系図]。 忠徳(11)
三日月 長國(19)
新見 ☆2.13 備前守成煥、大蔵少輔に改める〔諸家譜〕。 成煥(31)
旗本他
文政12 1829 己丑 仁孝 家齊 赤穂 ☆4.19 忠貫(忠徳)、本所御蔵火番御免[大系図]。 忠徳(12)
三日月 ☆⑧.23 隠居長篤、没す[華族]。 長國(20)
新見 成煥(32)
旗本他
文政13
天保元
★12.10
改元
1830 庚寅 仁孝 家齊 赤穂 ☆4.21 赤穂藩、領内に麦囲を命ず〔楢原村文書〕。
☆9.10 前藩主忠贊女絹(咸)、卒す。法名「實性院殿眞巖妙諦尼首座」、赤穂花岳寺に葬る〔大系図、華族〕。
☆12.7 忠貫(忠徳)、伊東主膳御預を命ぜられる〔大系図〕。
忠徳(13)
三日月 長國(21)
新見 成煥(33)
旗本他
天保2 1831 辛卯 仁孝 家齊 赤穂 ☆7.18 忠貫(忠徳)御預の伊東主膳御免[大系図]。
☆10.23 忠貫(忠徳)、将軍家御目見のところ小用頻繁につき見合の儀を届け出る[大系図]。
忠徳(14)
三日月 ☆7.朔 前藩主長義、伯耆守から伊豫守に改める〔諸家譜〕。 長國(22)
新見 成煥(34)
旗本他
天保3 1832 壬辰 仁孝 家齊 赤穂 ☆正.28 忠貫(忠徳)、はじめて将軍家齊に拝謁す〔江戸幕臣人名事典、大系図〕。
☆2.7 忠貫(忠徳)、月次御礼。以後年始・八朔五節句御礼をする〔江戸幕臣人名事典〕。
☆2.12 忠貫(忠徳)、留袖〔大系図〕。
☆2.15 忠貫(忠徳)、はじめて月次出仕〔大系図〕。
☆3.11 忠貫(忠徳)、元服〔大系図〕。
☆4.18 忠貫(忠徳)、はじめて在所への暇を賜る〔大系図〕。
☆4.23 忠貫(忠徳)、江戸発駕〔大系図〕。
忠徳(15)
三日月 長國(23)
新見 成煥(35)
旗本他 ☆4.17 久留里藩家臣森清太夫光福等、武蔵能仁寺観樹院殿(黒田城主黒田直方)墓前に石燈籠1対を奉献す〔能仁寺黒田家家臣奉献石燈籠銘〕。
☆7.12 久留里藩森光福(久留里家)、久留里藩家老に就任す〔黒稿下〕。
天保4 1833 癸巳 仁孝 家齊 赤穂 ☆2.11 忠貫(忠徳)、発駕。領内見分し有年駅に止宿す〔大系図〕。
☆2.12 忠貫(忠徳)、赤穂帰城〔大系図〕。
☆3.27 忠貫(忠徳)参府〔大系図〕。
☆4.21 忠貫(忠徳)、家督相続につき日光東照宮へ雄剣1振・籠蹄1匹を使者魚住武平治をして献上す〔大系図〕。
☆5.2 忠貫(忠徳)、当秋大関伊豫守に代わりての駿府加番を命ぜられる〔大系図〕。
☆9.朔 忠貫(忠徳)、駿府への暇を賜り将軍家齊より時服10を拝領す〔大系図〕。
☆9.19 忠貫(忠徳)、江戸発駕〔大系図〕。
☆9.23 忠貫(忠徳)、駿府町本陣着〔大系図〕。
☆9.25 曉、忠貫(忠徳)、大関伊豫守と駿府加番を交代して勤む〔大系図〕。
☆11.7 赤穂藩、諸国凶作につき米穀・雑穀等の他領売出を禁が〔楢原村文書〕。
忠徳(16)
三日月 長國(24)
新見 ☆6.5 大蔵少輔成煥、再び備前守に改める〔諸家譜〕。 成煥(36)
旗本他
天保5 1834 甲午 仁孝 家齊 赤穂 ☆9.20 家臣森賛張養子正綽(忠敬子)、卒す(18歳)。法名「篤信院殿好古荊玉居士」、赤穂随鴎寺に葬る[大系図、華族]。
☆9.25 忠貫(忠徳)、駿府加番を三日月森佐渡守と交代し、即刻同地を発駕す[大系図]。
☆9.29 忠貫(忠徳)、帰府[大系図]。
☆11.朔 忠貫(忠徳)、在所への暇を賜る[大系図]。
☆11.3 忠貫(忠徳)、発駕[大系図]。
☆11.20 忠貫(忠徳)、赤穂帰城[大系図]。
忠徳(17)
三日月 長國(25)
新見 成煥(37)
旗本他
天保6 1835 乙未 仁孝 家齊 赤穂 ☆3.11 忠敬子可壽、家臣森賛張(縫殿家)の養子となる〔大系図〕。
☆3.晦 忠貫(以後忠徳)、参府〔大系図〕。
☆12.16 忠徳、従五位下信濃守に叙任す〔江戸幕臣人名事典、系図纂要〕。
忠徳(18)
三日月 ☆3.4 長國子 (のちの對馬守俊滋)、誕生す[華族]。 長國(26)
新見 成煥(38)
旗本他
天保7 1836 丙申 仁孝 家齊 赤穂 ☆2 忠徳、当春参向の公家衆御馳走扣を勤む〔大系図〕。
☆4.18 忠徳、在所への暇を賜る〔大系図〕。
☆4.21 忠徳、江戸発駕。木曽路通行、美濃可成寺に参詣す〔大系図〕。
☆5.9 忠徳、赤穂帰城〔大系図〕。
☆10.18 赤穂藩、米価高騰のため領内に囲米を命ず〔柴原家文書〕。
忠徳(19)
三日月 長國(27)
新見 成煥(39)
旗本他
天保8 1837 丁酉 仁孝 家齊
家慶
赤穂 ☆正.26 忠敬女斕、家臣森将監長彜に嫁す[大系図]。
☆4.2 忠徳、参府[大系図]。
☆4.29 忠徳、常盤橋御門番を命ぜられる[大系図]。
☆7.17 前藩主忠贊、卒す(78歳)。法名「梅龍院殿覺源宗真大居士」、瑠璃光寺に葬る[大系図]。
☆8.18 忠徳、当秋参向の准后使御馳走人を命ぜられ、常盤橋御門番を免ぜられる[大系図]。
☆8.28 准后使石井弾正大弼、江戸着。忠徳、御馳走人を勤む[大系図]。
☆9.10 准后使石井弾正大弼、江戸発輿[大系図]。
☆12.12 忠贊女宮(定・照、元酒井氏室)、大番頭石川伊豫守総登へ再婚す[大系図]。
☆12.21 忠徳、牧野越中守貞一妹と婚姻[大系図]。
忠徳(20)
三日月 ☆8.10 前藩主長義、死去す(51歳)。法名「長義院殿棲鸖日娯大居士」、墓所池上本行寺[三日月森]。 長國(28)
新見 成煥(40)
旗本他
天保9 1838 戊戌 仁孝 家慶 赤穂 ☆3.晦 幕府巡見使、赤穂着[大系図]。
☆4.朔 曉、幕府巡見使、赤穂発足[大系図]。
☆④.1 忠徳、江戸発駕。木曽路を通り美濃可成寺に参詣す[大系図]。
☆④.18 忠徳、赤穂帰城[大系図]。
☆9.10 忠徳室牧野氏、卒す。法名「清香院殿桂室定輪大姉」、瑠璃光寺に葬る[大系図]。
忠徳(21)
三日月 長國(29)
新見 成煥(41)
旗本他
天保10 1839 己亥 仁孝 家慶 赤穂 ☆3 忠徳、参府するも大井川にて足止め。日坂駅に3日逗留す〔大系図〕。
☆4.6 忠徳、着府〔大系図〕。
☆4.26 忠徳、小笠原長昌女「言」と再婚す〔大系図〕。
☆5 青木源五郎室鏈(忠贊女)、不熟につき離縁〔大系図〕。
☆6.4 落合鐵吉妻律(忠贊女)、没す〔華族〕。
☆7 赤穂藩、取締前川新右衛門に諸商人が米雑穀商に難渋しないよう計らわせしむ〔楢原村文書〕。
☆8.14 家臣森長彜妻斓(忠敬女)、卒す(25歳)。法名「秋光院殿桂月妙香大姉」、赤穂随鴎寺に葬る〔大系図〕。
忠徳(22)
三日月 長國(30)
新見 成煥(42)
旗本他 ☆3.29 久留里藩家老森光福(久留里家)、東叡山勤番の功を賞せられて時服を賜る[黒稿下]。
天保11 1840 庚子 仁孝 家慶 赤穂 ☆3.8 忠徳、木下大和守交替として常盤橋御門番を命ぜられる。同勤佐竹壱岐守[大系図]。
☆4.27 忠徳、江戸発駕。東海道を通り宮駅に1日逗留す[大系図]。
☆5.15 忠徳、赤穂帰城[大系図]。
☆12.15 忠徳長男勝蔵(忠弘)、江戸に於いて誕生す。母は正室言(小笠原氏)[大系図]。
忠徳(23)
三日月 長國(31)
新見 ☆10.26 隠居長輝子長吉長男 (のちの伊勢守長克)、誕生[華族]。 成煥(43)
旗本他 ☆2 久留里藩主黒田直静、幕府より大坂城加番を命ぜられる。家老森光福(久留里家)、これに供奉す[黒稿下]。
☆7 上総久留里藩、大坂城加番に赴任。山里丸を守衛す[黒稿下]。
☆12 久留里藩家老森光福(久留里家)、大坂城加番の勤労を賞せられて黒田直静より銀7枚を賜る[黒稿下]。
天保12 1841 辛丑 仁孝 家慶 赤穂 ☆2.10 赤穂藩、諸商い、諸職人へ操業を許可す〔楢原村文書〕。
☆2.22 呉服橋御門番岩城伊豫守隆喜(出羽亀田藩主)、参向公家衆御馳走役代りを命ぜられる〔亀田岩城家譜〕。
☆3.14 忠徳、赤穂発駕。所々にて差し支え参府3日延引す〔大系図〕。
☆4.5 忠徳、着府〔大系図〕。
☆4.19 忠徳、岩城隆喜(出羽亀田藩主)交替として呉服橋御門番を命ぜられる。同勤久留嶋伊豫守〔大系図〕。
☆6.14 忠徳、信濃守を右兵衛佐と改める〔江戸幕臣人名事典、大系図、系図纂要〕。
☆6.18 忠徳室言(小笠原氏)、卒す。法名「清操院殿玉質妙光大姉」、瑠璃光寺に葬る〔大系図、華族〕。
忠徳(24)
三日月 長國(32)
新見 ☆①.20  備前守成煥隠居し(名代稲葉能登守)、家督は養子長道が継ぐ〔江戸幕臣人名事典、諸家譜、華族〕。。 成煥(44)
長道(27)
旗本他 ☆11.4 大坂加番中の久留里藩家老森光福(久留里家)、主君の思召に応ぜざる儀ありて家老を罷免、50石削封となり、久留里に帰国して蟄居す〔黒稿下〕。
天保13 1842 壬寅 仁孝 家慶 赤穂 ☆4.24 藩士柴田谷右衛門、年来出精につき忠徳より俸禄を知行50石に改められる〔柴田家文書〕。
☆4.26 忠徳、江戸発駕。東海道を通り宮駅に1日逗留す〔大系図〕。
☆5.13 忠徳、赤穂帰城〔大系図〕。
忠徳(25)
三日月 ☆12.17 長国女於城(旗本平野長興嫡子長発室)、死去す。法名「寳蓮院殿□淨薫大姉〔高蔵寺位牌〕。 長國(33)
新見 ☆10.27 前藩主備前守成煥、東市正と改め、「東翁」と称す〔諸家譜〕。
☆10.29 長道、従五位下備前守に叙任す〔諸家譜〕。
長道(28)
旗本他
天保14 1843 癸卯 仁孝 家慶 赤穂 ☆4.23 忠徳、赤穂発駕。大雨につき那波村に止宿。参府に1日延引す[大系図]。
☆5.11 忠徳、着府[大系図]。
☆5.21 忠徳、酒井大和守忠嗣女令と再婚す[大系図]。
☆6.5 忠徳、相良遠江守交替として常盤橋御門番を命ぜられる。同勤織田大学[大系図]。
忠徳(26)
三日月 長國(34)
新見 ☆11.5 備前守長道、東市正と改める〔諸家譜〕。 長道(29)
旗本他
天保15
弘化元
★12.2
 改元
1844 甲辰 仁孝 家慶 赤穂 ☆2.15 伊東播磨守室久(忠興女)、卒(74歳)。法名「天壽院殿」、駒込高林寺に葬る〔大系図〕。
☆3.5 忠徳、右兵衛佐を越中守に改める〔江戸幕臣人名事典、大系図〕。
☆3.15 忠敬子久之助可時(三郎)、由良播磨守の養子となり同家へ移る〔大系図〕。
☆4.29 忠徳、江戸発駕。路次中山道を通行し、美濃可成寺に参詣す〔大系図〕。
☆5.16 忠徳、赤穂帰城〔大系図〕。
忠徳(27)
三日月 長國(35)
新見 ☆6.16 長道の長女亭以(のちの長克室)、誕生す[華族]。 長道(30)
旗本他 ☆11.朔 蟄居中の久留里藩森光福、黒田直静に再び召出されて家老となり、50石加増せらる。また久留里藩勝手惣掛を命ぜられる[黒稿下]。
弘化2 1845 乙巳 仁孝 家慶 赤穂 ☆3.11 忠徳女、赤穂に於いて誕生するも即日早世す。母は千代(京都の人)。法名「霊鷲院殿金粧智雛禅童女〔大系図〕。
☆3.21 忠徳、赤穂発駕。東海道を通るも参府1日延引〔大系図〕。
☆4.9 忠徳、着府〔大系図〕。
☆4.26 忠徳、毛利安藝守交替として鍛冶橋御門番を命ぜられる。同勤池田信濃守〔大系図〕。
☆5.17 忠徳、柴田吉次郎に50石を宛行う〔柴田家文書〕。
忠徳(28)
三日月 長國(36)
新見 ☆6.13 東市正長道、但馬守に改める〔諸家譜〕。 長道(31)
旗本他 ☆10.26 久留里藩森光厚(久留里家)後妻板村利世子、久留里大手森邸に於いて没す(79歳)。法名「養心院妙壽日久大姉」、墓所城西妙長寺。この日藩主黒田直静、近侍梶川宇助をして香料を遣わす〔黒稿下〕。
弘化3 1846 丙午 仁孝
孝明
家慶 赤穂 ☆4 忠徳、在所への暇を賜るも不快につき滞府す[大系図]。
☆8.4 忠徳、出勤。即日発駕を届ける[大系図]。
☆8.5 忠徳、江戸発駕。東海道を通るも帰国2日延引す[大系図]。
☆8.28 忠徳子蘭丸、江戸に於いて誕生す。母は忠徳継室令(酒井氏)[大系図]。
☆8.26 忠徳、赤穂帰城[大系図]。
忠徳(29)
三日月 長國(37)
新見 長道(32)
旗本他 ☆10.22 久留里藩主黒田直静、家老森光福の居宅に光臨。光福等、長上下・肴代等を拝領す[黒稿下]。
弘化4 1847 丁未 孝明 家慶 赤穂 ☆2 赤穂藩、浜方稼方取締につき諸事を命ず〔柴原家文書〕。
☆6 赤穂藩財政改革仕法発せられる〔御改革御仕法帳〕。
☆9.28 前藩主忠贊女鏈(元青木氏室)、赤穂へ移る〔大系図〕。
☆11.16 前藩主忠贊子徹之助可象、赤穂に移る〔大系図〕。
☆11.27 忠徳子田鶴丸、赤穂に於いて誕生す。母は千代〔大系図〕。
☆12.23 忠徳子遊亀丸(のちの美作守忠典)、江戸に於いて誕生す。母は正室令(酒井氏)〔大系図、華族〕。
忠徳(30)
三日月 ☆2.15 長國嫡子俊滋、将軍家慶に初めて拝謁す〔江戸幕臣人名事典〕。 長國(38)
新見 長道(33)
旗本他 ☆5.7 久留里藩家老森光福(久留里家)、芝山傳治左衛門正善4男伸八郎正友(のちの格左衛門光新)を養子に迎える。正友、光福女鋓と婚姻す〔黒稿下〕。
☆5.20 久留里藩家老森光福(久留里家)出府し、藩政を議して帰国す〔黒稿下〕。
弘化5
嘉永元
★2.28
 改元
1848 戊申 孝明 家慶 赤穂 ☆8.8 忠徳子田鶴丸、早世す。法名「桂月院殿一輪回光禅童子」、花岳寺に葬る〔大系図〕。 忠徳(31)
三日月 ☆9.10 病気につき長國隠居し、俊滋が家督を継ぐ(名代織田安藝守)〔江戸幕臣人名事典、華族〕。
☆9.15(カ) 俊滋、家督御礼。名代毛利甲斐守〔江戸幕臣人名事典〕。
☆12.16 俊滋、従五位下伊豆守に叙任す〔江戸幕臣人名事典、諸家譜〕。
長國(39)
俊滋(14)
新見 長道(34)
旗本他 ☆正 久留里藩家老森光福(久留里家)養子光新、藩主黒田直静に召されて広間詰となり、次いで大筒奉行に任ぜられる〔黒稿下〕。
☆10.15 久留里藩主黒田直静、家老森光福(久留里家)宅に光臨す。光福、肴代等を拝領す〔黒稿下〕。
嘉永2 1849 己酉 孝明 家慶 赤穂 ☆3 忠徳、赤穂発駕。路次伏見駅にて2日逗留す〔大系図〕。赤穂藩、領内村々へ貯穀を命ず〔楢原村文書〕。
☆4.2 忠徳、参府〔大系図〕。
☆4.26 忠徳、相良志摩守交替として常盤橋御門番を命ぜられる。同勤細川能登守〔大系図〕。
☆11.12 赤穂藩、塩の取引仕法等を命ず〔浜本家文書〕。
忠徳(32)
三日月 俊滋(15)
新見 長道(35)
旗本他
嘉永3 1850 庚戌 孝明 家慶 赤穂 ☆2.5 江戸麹町より出火。大火となり赤穂藩邸類焼す。赤穂藩、常盤橋御番所より引取るべく届書提出す〔大系図〕。
☆2.8 忠徳、赤穂藩邸類焼により常盤橋御門番を免ぜられる〔大系図〕。
☆4.24 忠徳子扇松丸(のちの越後守忠儀)、江戸に於いて誕生す。母は正室令(酒井氏)〔大系図、華族〕。
☆4.27 忠徳、在所への暇を賜る〔大系図〕。
☆5.14 忠徳子蘭丸、早世す(5歳)。法名「蘭秀院殿菊芳露香大禅童子」、瑠璃光寺に葬る〔大系図〕。
☆5.21 忠徳、江戸発駕。路次東海道を通り、袋井駅にて1日逗留す〔大系図〕。
☆6.9 忠徳、赤穂帰城〔大系図〕。
忠徳(33)
三日月 俊滋(16)
新見 長道(36)
旗本他 ☆3.27 久留里藩家老森清太夫光福等、武蔵能仁寺喬松院殿(久留里城主黒田直候)墓前に石燈籠1対を奉献す〔能仁寺黒田家家臣奉献石燈籠銘〕。
☆5.7 森宗兵衛(次郎家)、父宗兵衛の家督を継ぎ小普請となる〔江戸幕臣人名事典〕。
☆7 久留里藩家老森光福(久留里家)、君命により上総・下総両国東海岸地理を巡見す。養子光新もこれに従う。また、光福、君命によって軍制を編成す〔黒稿下〕。
嘉永4 1851 辛亥 孝明 家慶 赤穂 ☆3.19 忠徳、赤穂発駕[大系図]。
☆4.10 忠徳、江戸参府[大系図]。
忠徳(34)
三日月 俊滋(17)
新見 ☆5.16 前藩主長輝子関采女(豊後)長吉、没す[華族]。 長道(37)
旗本他 ☆9 久留里藩、外陣ヶ峰に於いて軍事調練す。家老森光福(久留里家)養子光新も参加す[黒稿下]。
嘉永5 1852 壬子 孝明 家慶 赤穂 ☆4.19 忠徳、在所への暇を賜る[大系図]。
☆5.2 忠徳、江戸発駕。東海道を通る[大系図]。
☆5.18 忠徳、赤穂帰城[大系図]。
☆6.23 明石城主松平齊韶七女米子(のちの赤穂森忠儀室)、誕生す[華族]。
忠徳(35)
三日月 俊滋(18)
新見 長道(38)
旗本他
嘉永6 1853 癸丑 孝明 家慶
家祥
(家定)
赤穂 ☆3.22 忠徳、赤穂発駕〔大系図〕。
☆4.9 忠徳、江戸参府〔大系図〕。
☆4 忠徳、本所御蔵防を命ぜられる〔大系図〕。
☆7.22 将軍家慶、薨去す〔大系図〕。
☆10.18 忠徳子、江戸に於いて誕生するも即日早世す。母は花江(江戸の人)。法名「顕相禅嬰」、瑠璃光寺に葬る〔大系図〕。
☆12.3 家定将軍宣下につき忠徳、使者を以て太刀・馬代を献上す〔大系図〕。
☆12.5 忠徳、御能拝見を仰渡さる〔大系図〕。
忠徳(36)
三日月 俊滋(19)
新見 長道(39)
旗本他 ☆4.22 森宗兵衛(次郎家)、中奥御番となる〔江戸幕臣人名事典〕。
嘉永7
安政元
★11.27
 改元
1854 甲寅 孝明 家定 赤穂 ☆3.10 赤穂藩産物所、加古川筋塩取引等につ諸事を命ず〔柴原家文書〕。
☆4.15 赤穂藩、銀札両替を制限す〔楢原村文書〕。
☆4.18 赤穂藩、領内へ銀札専一通用を命ず〔楢原村文書〕。
☆4.25 忠徳、在所への暇を賜る〔大系図〕。
☆4.26 忠徳、本所御蔵防御免〔大系図〕。
☆5.2 忠徳、病気につき当秋まで滞府を願い出る〔大系図〕。
☆6.朔 赤穂藩、領内の米穀を買い上げる〔楢原村文書〕。
☆7 赤穂藩、銀札両替の比率を定む〔楢原村文書〕。
☆9.13 忠徳、病気につき当冬までの滞府を願い出る〔大系図〕。
☆9.27 忠徳子喜久丸、江戸に於いて誕生す。母は花江〔大系図〕。
☆11.4 江戸地震による屋敷破損等のため忠徳、来春まで滞府す〔大系図〕。
☆11.5 赤穂領地震。赤穂城内・侍屋敷・町々大破す〔大系図〕。
☆12.22 海岸防禦御用につき赤穂藩邸南側5000坪の上地を命ぜられる〔大系図〕。
忠徳(37)
三日月 俊滋(20)
新見 ☆6.16 公家萬里小路博房三男博直(のちの関亭以養子)誕生〔華族〕。 長道(40)
旗本他 ☆4.26 久留里城主黒田直静、薨去す〔黒稿下〕。のちに家老森清太夫光福等、武蔵能仁寺天倫院殿(黒田直静)墓前に石燈籠1対を奉献す〔能仁寺黒田家家臣奉献石燈籠銘〕。
☆9.13 久留里藩主黒田直和、国元に入部す。家老森光福(久留里家)、手綱3筋を拝領す〔黒稿下〕。
☆11.6 久留里藩主黒田直和、家老森光福邸に光臨。光福等、長上下・肴代等を拝領す。この日、特に光福養子伸八郎実弟神山鏡三郎も召される〔黒稿下〕。
安政2 1855 乙卯 孝明 家定 赤穂 ☆2.10 赤穂藩、屋敷地上地分をを幕府へ引渡す〔大系図〕。
☆3.6 忠徳、将軍家定より領知の御朱印を頂戴す。ただし、忠徳病気につき名代として御先手内藤甚左衛門を頂戴に遣わす〔大系図〕。
☆4.朔 赤穂藩、領内へ旧銀札を新銀札へ引き替える旨を命ず〔楢原村文書〕。
☆4.3 忠徳、出勤〔大系図〕。
☆4.18 忠徳、参府御礼〔大系図〕。
☆7.9 赤穂藩、新銀札引替につき諸事命ず〔楢原村文書〕。
☆8.18 忠徳子喜久丸、早世す。法名「晧月院殿清輪悠光大童子」、瑠璃光寺に葬る〔大系図〕。
☆10.2 夜、大地震にと所々半潰〔大系図〕。
☆11.9 忠徳子銓道丸、江戸に於いて誕生す。母は花江〔大系図〕。
忠徳(38)
三日月 俊滋(21)
新見 ☆11.21 前藩主東翁(成煥)、死去す(58歳)〔諸家譜、華族〕。 長道(41)
旗本他 ☆5 久留里藩家老森光福(久留里家)、重病につき家老職を辞すも慰留される〔黒稿下〕。
☆6.10 久留里藩家老森光福(久留里家)、危篤につき再び家老職を辞するも慰留される〔黒稿下〕。
☆6.11 久留里藩主黒田直和、家老森光新危篤につき見舞として納戸荒木一郎を遣わす。この日、光福没す(51歳)。法名「證淨院光福日養居士」、墓所正久山弘妙院妙長寺〔黒稿下〕。
☆7.18 久留里藩森光新(久留里家)、養父光福の遺跡130石を継ぎ、準物頭となる〔黒稿下〕。
安政3 1856 丙辰 孝明 家定 赤穂 ☆5.3 忠徳子銓道丸、卒す。法名「真如院殿實山良相大童子」、瑠璃光寺に葬る[大系図]。
☆12.3 忠徳、嫡子勝蔵(忠弘)の将軍家定への御目見を願い出るも小用頻繁につき暫く見合わせの儀の届書を提出す[大系図]。
☆11.3 願い出て忠徳嫡子勝蔵(忠弘)御袖留[大系図]。
忠徳(39)
三日月 俊滋(22)
新見 長道(42)
旗本他 ☆2.19 久留里藩森光新(久留里家)、用人となり江戸詰となる[黒稿下]。
安政4 1857 丁巳 孝明 家定 赤穂 ☆5.29 忠徳子徳、江戸に於いて誕生す。母は花江〔大系図〕。
☆⑤.26 忠徳嫡子勝蔵忠弘、卒す(18歳)。法名「弘道院殿泰岳容受大居士」、瑠璃光寺に葬る〔大系図〕。
☆9.5 忠徳、次男遊亀丸(忠典)を嫡子として願出る〔大系図、森家系〕。
忠徳(40)
三日月 ☆11.24 前藩主隠居長國、没す(48歳)。法名「長國院殿前佐州刺史壽山日行大居士」、墓所江戸池上大坊本行寺〔本行寺三日月森家墓碑銘、江戸幕臣人名事典、華族〕。 俊滋(23)
新見 長道(43)
旗本他
安政5 1858 戊午 孝明 家定
家茂
赤穂 ☆5.12 忠徳、松平伊勢守交替として常盤橋御門番を命ぜられる。同勤毛利安房守〔大系図〕。
☆8.8 将軍家定薨去〔大系図〕。森正朝養子正綽(忠敬子)、没す〔華族〕。
☆8.19 赤穂藩、停止中の商いの営業を許可する〔楢原村文書〕。
☆9.4 赤穂藩、諸商いの株問屋再興を許可す〔楢原村文書〕。
☆12.朔 家茂将軍宣下につき忠徳、使者を以て太刀・馬代を献上す〔大系図〕。
☆12.15 忠徳、御能拝見を仰付らる〔大系図〕。
忠徳(41)
三日月 ☆8.25  俊滋(24)
新見 ☆3.20 長道五女天留(長克養女、のちの関博直子爵夫人)誕生す[華族]。
☆8.13 但馬守長道、没す(44歳)〔諸家譜、華族〕。
☆10.16 長克、養父長道の遺領を相続する〔江戸幕臣人名事典、諸家譜、華族〕。
長道(44)
長克(19)
旗本他
安政6 1859 己未 孝明 家茂 赤穂 ☆8.20 前藩主忠敬後室法雲院(酒井氏・東)、没す〔華族〕。 忠徳(42)
三日月 俊滋(25)
新見 ☆8.15 長克、将軍家茂に初めて拝謁す〔江戸幕臣人名事典〕。
☆12.16 長克、従五位下備前守に叙任す〔江戸幕臣人名事典、諸家譜〕。
長克(20)
旗本他 ☆6.9 久留里藩用人森光新(久留里家)、国元詰を命ぜられ、主君黒田直和より時服を拝領す[黒稿下]。
☆9 久留里藩用人森光新(久留里家)、「二郎左衛門」と称す[黒稿下]。久留里藩主黒田直和、用人森光新(久留里家)邸に光臨。光新・妻子等に下賜あり。また、光新も茶器を献ず。後、直和より「格左衛門」の称を賜る[黒稿下]。
☆11 久留里藩用人森光新(久留里家)、主君黒田直和の御前に召されて酒肴・時服を賜る[黒稿下]。
安政7
万延元
★3.18
 改元
1860 庚申 孝明 家茂 赤穂 ☆12.16 忠徳嫡子忠典、従五位下美作守に叙任す〔諸家譜〕。 忠徳(43)
三日月 俊滋(26)
新見 長克(21)
旗本他
万延2
文久元
★2.19
 改元
1861 辛酉 孝明 家茂 赤穂 忠徳(44)
三日月 俊滋(27)
新見 長克(22)
旗本他 ☆11.朔 久留里藩用人森光新、家老となり70石加増される[黒稿下]。
文久2 1862 壬戌 孝明 家茂 赤穂 ☆正.21 忠徳、致仕し、忠典家督を継ぐ〔江戸幕臣人名事典、森家系、華族〕。忠典、柴田谷右衛門に50石を安堵す〔柴田家文書〕。
☆5.17 忠典、はじめて赤穂に入城す〔森家系〕。
忠徳(45)
忠典(16)
三日月 ☆8.6 三枝靱負(長義子、三枝左近養子)、死去す。法名「高隆院義山宗雄」〔三日月森〕。 俊滋(28)
新見 長克(23)
旗本他 ☆8.14 森左近(才兵衛家)、小普請組松浦弾正支配より両番へ入り、御書院番神保山城守支配となる〔江戸幕臣人名事典〕。
文久3 1863 癸亥 孝明 家茂 赤穂 ☆正.21 忠典、西川瀬左衛門に扶助米70俵を宛行う〔柴田家文書〕。
☆3.14 赤穂藩、異国船渡来時の心得につき触書を出す〔楢原村文書〕。
☆7.26 赤穂藩、新浜村御崎・唐船に台場を築造す〔楢原村文書〕。
☆是歳 忠典、幕府政令変革により赤穂城に滞城す〔森家系〕。
忠典(17)
三日月 俊滋(29)
新見 ☆10.22 備前守長克、民部少輔と改める〔江戸幕臣人名事典、諸家譜〕。 長克(24)
旗本他 ☆11 江戸東禅寺襲撃事件につき久留里藩家老森光新(久留里家)、兵を率いて東善寺に到る[黒稿下]。
文久4
元治元
★2.20
 改元
1864 甲子 孝明 家茂 赤穂 ☆9.3 赤穂藩、御崎台場の補修を命ず〔楢原村文書〕。 忠典(18)
三日月 ☆7.9 俊滋、伊豆守から對馬守に改める〔江戸幕臣人名事典、諸家譜〕。 俊滋(30)
新見 ☆5.13 民部少輔長克、従五位上に昇叙す〔江戸幕臣人名事典、諸家譜〕。 長克(25)
旗本他
元治2
慶応元
★4.8
 改元
1865 乙丑 孝明 家茂 赤穂 忠典(19)
三日月 俊滋(31)
新見 ☆2.5 民部少輔長克、伊勢守と改める〔諸家譜〕。 長克(26)
旗本他 ☆2 江戸に出府中の久留里藩家老森光新(久留里藩)、江戸詰を命ぜられる[黒稿下]。
慶応2 1866 丙寅 孝明 家茂
慶喜
赤穂 忠典(20)
三日月 俊滋(32)
新見 長克(27)
旗本他 ☆4 久留里藩主黒田直和、病により致仕。家督は直養が継ぐ。家老森光新(久留里家)はそのまま直養に仕う[黒稿下]。
慶応3 1867 丁卯 孝明
明治
慶喜 赤穂 ☆3.15 忠徳女靍(森挌養女)、誕生[華族]。 忠典(21)
三日月 ☆12.28 俊滋子 (のちの長祥子爵)、誕生す[華族]。 俊滋(33)
新見 長克(28)
旗本他 ☆2 久留里藩家老森光新(久留里家)、国元詰となる。このとき主君黒田直養より御手製の三所物を拝領す[黒稿下]。
☆12 久留里藩家老森光新(久留里家)、出府を命ぜられる[黒稿下]。
☆12.28 出府支度中の久留里藩家老森光新(久留里家)の許に江戸高輪の変の急報有り、これにより光新、兵300を率いて出府。黒田家江戸下谷藩邸に到る[黒稿下]。
慶応4
明治元
★9.8
 改元
1868 戊辰 明治 赤穂 ☆正.16 赤穂・林田・小野・安志の諸藩、姫路征討の備前藩に援軍を派遣す〔森忠儀家記〕。
☆2.7 新政府、播磨国旧幕府領、田安・一橋家領、会津藩旧役知領および徳川家加担の旧旗本領の取締を龍野・赤穂両藩に命ず〔脇坂安斐家記〕。
☆3.朔 新政府、赤穂藩兵の姫路守衛を解く〔森忠儀家記〕。
☆3.19 忠典、致仕し、忠儀家督を継ぐ〔森家系、華族、諸家譜〕。
☆3.27 新政府、播磨国旧生野代官支配地を折田要蔵に管理させ、龍野・赤穂両藩の管理を解く〔脇坂安斐家記〕。
☆4.2 忠儀、従五位下越後守に叙任す〔諸家譜〕。
☆4.13 新政府、態度未定の旧幕府旗本領の取締を龍野・赤穂以下6藩に命ず〔脇坂安斐家記〕。
☆4.20 新政府、大坂裁判所総督の兵庫裁判所兼摂に伴いも摂津・河内・和泉・播磨の公領の取締を赤穂他最寄りの藩に命ず〔脇坂安斐家記〕。
☆4 忠儀、赤穂に帰邑[森家系]。
☆9.2 忠徳子錦丸(森挌養女)、誕生[華族]。
忠典(22)
忠儀(19)
三日月 俊滋(34)
新見 長克(29)
旗本他 ☆正 久留里藩有志、奸臣を討たんとして家老森光新(久留里家)に告ぐるも光新、これを制止す。光新、主君黒田直養に諫言して奸臣を除く[黒稿下]。
☆2.7 夜、旧幕臣江戸市中暴行す。久留里藩家老森光新(久留里家)主君黒田直養の代理として兵を率いてこれを鎮圧す。旧幕臣は上野山内に逃れたため高田藩と示し合わせて車阪口を守る[黒稿下]。
☆2.12 前将軍慶喜、上野寛永寺に謹慎す[黒稿下]。
☆2.18 輪王寺宮、徳川慶喜救済に付き上洛の為久留里藩主黒田直養に供奉を命ず。直養病により家老森光新(久留里家)主君に代りて輪王寺宮を警衛す[黒稿下]。
☆2.21 輪王寺宮、江戸を発輿。久留里藩家老森光新等諸藩士供奉す[黒稿下]。
☆2.22 久留里藩家老森光新(久留里家)等諸藩重臣、相模藤沢本陣にて輪王寺宮に拝謁し、次いで輪王寺宮一行、小田原に着す[黒稿下]。
☆2.28 東征大総督有栖川宮熾仁親王、駿河沼津着。これにより輪王寺宮、使者戒善院を有栖川宮の許に遣わすも大総督府、これを制止す。よって諸藩の輪王寺宮警護は免ぜらる[黒稿下]。
☆2.29 輪王寺宮一行、小田原を発す[黒稿下]。
☆3.朔 輪王寺宮供奉の久留里藩家老森光新(久留里家)、藩邸に帰り主君黒田直養に事の次第を言上す[黒稿下]。
☆4 久留里藩家老森光新(久留里家)、国元に帰る[黒稿下]。
☆6.4 旧幕脱兵、横田村に放火。これにより久留里藩、兵を山本村に出張せしむ。家老森光新(久留里家)は単騎にて同地に馳せ向かい、陣場を点検す[黒稿下]。
☆7.27 久留里藩家老森光新(久留里家)、病のため職を辞し番頭末席に列す。また、光新、洋式軍隊改良の意見が主君の思召に叶わず、50石削封され、謹慎を命ぜらる[黒稿下]。