----- ファム・ファタールと羊の夢


   >>> 10



 リュウザキは、ネリネをナカバに託した後、部屋に戻った。入り口のドアを開けようとして、鍵が掛かってないことに気がついた。リュウザキの呼吸が一瞬止まる。銃に手を伸ばして、そっとドアを引きながら横の壁に張り付いた。
 軋んだ音を立ててドアが開く。3つ数えて、リュウザキは銃を構えて入り口の正面に立ちふさがる。中から反応はない。荒らされた形跡が目に映った。そのままゆっくりと中に足を踏み入れると、左手のキッチンの方に体を向ける。そのままゆっくりと進んでトイレの中も確認する。
 静かに息を付くと、今度は部屋の奥の方へ目を向ける。
 ベッドの毛布類は床に引きずり下ろされ、辺りは足の踏み場もない。机の上も散らっていてパソコンは液晶画面が破壊されて無惨に転がっている。大した情報が得られなかったことに対する当てつけのように見えた。テーブルの下のジェラルミンケースは持ち去られたのか、見当たらなかった。
 銃を下げるとリュウザキは溜息をついた。銃を握っている手のひらがじんわりと汗ばんでいる。左手に持ち替えると、上着の裾で汗を拭った。
 許可なしで居着いているのだから、不法侵入を問われても仕方がないが、これはそういう類の捜査とは違うようだ。機関には、ネリネに関して未だ詳細を伝えていない。そのことに業を煮やされたとしても、身内の仕業にしては手荒すぎる。第一、この場所は誰にも教えていない。
 ゴトウの仕業だろうか。ネリネが姿を消したことに、気付かれたのかもしれない。
 リュウザキはトイレに向かう。タンクのふたを開けて、裏側に貼り付けたビニール袋を取り出した。袋を破ってネリネに関するデータがコピーされたディスクをポケットに突っ込む。
 部屋を出る前に立ち止まってぐるっと見渡した。ここはけっこう気に入っていたのだが、もう戻ってくることはないだろう。
 リュウザキは目を細めると、部屋を出た。

 車に乗り込もうとした瞬間、頭上で何かが破裂するような音がした。不審に思って見上げた瞬間、ついさっきまでいた部屋から、さらに大きな爆発音と共にどす黒い煙が上がった。衝撃に体をすくめていると、かなり派手に吹き飛んだらしく、ばらばらと瓦礫が降って来る。リュウザキは慌てて車に乗り込んだ。ドアを閉めた途端にコンクリートの塊が今自分が立っていた場所に着地し、即座にエンジンをかけようとしたが、寸での所で手が留まった。
 さすがにキーを持つ手が震えている。この車にも何か仕掛けられているとしたら、それが作動するのは間違いなくエンジンをかけた瞬間のはずだ。こめかみに汗が伝うのを感じながら、キーからゆっくりと手を離した。ゴン、と屋根の上に瓦礫が落ち、フロントガラスにも亀裂が入った。
 助手席側から車を降りると、リュウザキは走り出した。大通りに出る道へ向かいながら携帯を取り出す。ひと気のない街とはいえ、次第に集まり始める野次馬達とは逆行しながらリュウザキは脇道にそれた。
「俺だ。何か入ってきてないか。どうも狙われてるらしい」
『こちらには何も入ってきてませんが、どうしました?』
 ふと立ち止まると、都市開発計画で買収したものの、手つかずで放置されたままの空き地が横に広がっていた。吹きさらしの風が強くリュウザキを打ち付ける。頭上ではジェット機が、空を制する王者のような貫禄を見せつけて飛んでいた。リュウザキはしばらくそれを見送った。
『もしもし?!』
 呼びかける声に引き戻されて、再び歩き出す。空き地の横を抜けて、タクシーを拾うために大きな通りへ向かった。
「隠れ家を吹き飛ばされた。車もなにか仕掛けられてるかもしれん。代わりの足は寄越せるか」
『吹き飛ばされた? どういうことです?』
「文字通り、ビルがワンフロア爆破された。それより質問に答えろ」
『冗談じゃないですよ、迎えを出します。すぐ“A3”とこちらに向かって下さい』
「いや、それはまだ出来ない。仕方ない、またあとで連絡する」
 リュウザキはタクシーに乗り込みながら電話を切った。
 大きく息を付くと、髪を掻き上げる。その横を消防車が何台もすれ違って行くのを横目で見やりながら、リュウザキはラジオから流れる流行りの曲に耳を傾けた。
 この騒動はテレビで大きく取り上げられるだろう。だが、現場検証で機関と分かる痕跡が見つかれば、警察はすぐに揉み消してしまうはずだ。その点は問題ない。だが、ネリネに関することが漏れ出てしまえば、事態は少しやっかいなことになってしまう。
 ラジオのDJが時間を告げた。ナカバとの約束の時間を少し過ぎているが、工場の目の前に乗り付けるわけにはいかないから、かなり遅れることになる。それにネリネを引き取る前に移動のための足が欲しかった。
 この近辺でうろついている部下はいなかっただろうか、何人かの現場に出ている機関の人間が思い浮かんだが、いずれも都内から離れた場所で動いている。
 リュウザキは舌打ちをすると、手頃な場所で車を止めさせた。

「遅くなって済まない。ナカバ、あれを連れてこい」
「にいさん……? えらい心配してましてん」
 ナカバに駆け寄るように出迎えられて、リュウザキは片手で制した。
「悪い、急いでる。あれはどこだ」
「含有率7割どころじゃおまへんで、あのねえちゃん機械やあらへんのですわ」
「……何?」
 ソファに座っているネリネの腕を掴みかけて、リュウザキは振り返った。
「せやから、機械やないんですわ。元は人間。脳だけがそっくり人工脳にすげ変わってるだけ。そもそも人弄くって機械にすんのは、違法どころかまだ成功すらしてないはず……」
「データを見せろ」
 ナカバが差し出す紙をひったくるようにしてリュウザキは結果に目を通す。
「それに視神経の異常ですけどな、すんませんけど、あれ治せませんわ。なんや見たことないOS使うてますねん」
「……ナカバ」
 読み終わると、リュウザキは鋭い声を上げた。
「こいつに関するデータは今すぐ全て消去しろ。妙なこと考えようもんなら、お前の命はないかもしれんぞ」
「どういうことで……」
「こいつを狙ってるヤツらがいる。俺の隠れ家がさっき爆破された」
「はあっ?!」
 リュウザキはネリネを立たせた。
「済まない、お前らに迷惑をかけるつもりはなかったんだがな」
 ぎょっとした顔のナカバとマツモトの前を、ネリネを引きずりながら通っていく。
「に、にいさん……?」
「何も残すな。誰か来ても、俺のことはヘタに庇わなくていい」
「待って下さい」
 行きかける二人に、マツモトが呼び止めた。
「あの、車は……?」
「置いてきた。なにか仕掛けられてるかもしれんが、どっちにしろ瓦礫で潰れて動かない」
 少しも動じている様子のないリュウザキに、畏怖のようなものを抱きながらマツモトは工場に転がっている車を指した。
「使って下さい。カモフラージュで置いてあるものですけど、動きます。ナンバーも偽造ですから身元も分かりません」
 リュウザキは目を見張った。マツモトは体を固くしてリュウザキをじっと見返していた。
「……分かった」
 リュウザキは助手席にネリネを押し込むと、車に乗り込んだ。ナカバとマツモトを見上げると、笑みを浮かべた。
「この借りは必ず返す」
 工場からそろりと出ていく車を見送りながら、ナカバはぽつりと呟いた。
「にいさんと知りおうて5年くらいになるけど、笑った顔初めて見たわ」
「アハハ、俺の快挙ですね」
「アホか、何ぬかしとんねん」
 ムッとしたような顔をするナカバにマツモトはえっと声を上げた。
「『えっ』やあらへんがな。あれは俺の車や。車の分ただ働きな」
「そんなぁ」
「あの車もう戻って来ぇへんぞ」
 背を向けてぼそりと言ったナカバに、マツモトの顔色が変わった。


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