----- ファム・ファタールと羊の夢


   >>> 3



 車を走らせ始めると男の態度は一変した。穏和そうに見えた顔は、無表情ながら不敵な様子に切り替わっていた。
 ネリネは助手席側のドアに背中を預けるような形で、真横に座っている。
 足は男の腿の上に乗っている。不安定で起きあがろうにも、左折や右折のたびにバランスを失う。ネリネはシートにしがみついているしかなかった。
「あなたは何者ですか」
 平然とした顔で車を運転する男をネリネは睨んだ。
「これは誘拐行為に値します」
 それを聞いて男は鼻で笑った。
「『誘拐』、なかなか笑えるジョークだ」
「質問に答えて下さい」
「敢えて言うならこれは『盗難』だ。俺の言う意味が分かるか?」
「分かりません」
 ネリネは不愉快そうに眉をひそめる。
「だろうな」
 男はちらりと目線を下に向けてネリネの足を見た。赤いワンピースから伸びるなめらかな白い足。華奢なサンダルのつま先には赤いペディキュアが塗られている。
 まったく良く出来てるよな、と男は独り言のように呟いた。
「教えてやるよ。ダッシュボードの中を見てみろ」
 赤信号で車を止めた隙に、男はネリネの足を助手席側へ乱暴に押しやった。
 ようやく体を起こしてきちんとシートに座り直すと、ネリネはダッシュボードを開けた。中には大きな封筒が無造作に突っ込まれている。ネリネはそれを取り出すと、中に入っている書類を取り出した。
「それが、お前の全てだ」
 ネリネは最初の一枚をめくると、目を見開いた。思わず男の方を向く。
「どうした、何をそんなに驚いてる」
 男はアクセルを踏み込みながらにやりと笑った。
 書類はネリネに関する詳細な調査結果だったが、真っ先に目に飛び込んだのは、名前の上に記されている『ヒューマノイドタイプ:新型 AAA+』という項目だった。下へ移るにつれて、およそ人に対する調査とは思えない項目が並んでいる。
 『有機物含有率:未確認』『体組織:未確認』『自覚度:未確認』『利用目的:未確認』……。
「これは、私ではありません」
 ネリネの声が微かに震えた。
「そうか? じゃあ、お前は何だ? 説明できるのか」
 目を細めながら男は嘲るように答える。ネリネは手にしていた書類を男に向かって投げつけた。
「私は人です」
 男は声を上げて笑い出した。
「ああホント、こりゃ今までの中でも最高のジョークだ」
「あなたは何者ですか」
「人間に決まってる」
 ネリネは男を不快そうに見つめた。心臓がどくどくと高鳴っているのを抑えるように、ゆっくりと深呼吸する。少し落ち着いたところで、第二の疑問がようやく沸き起こった。
「私をどこへ連れていく気ですか」
 それには答えず、男はちらりとネリネの方を見ただけだった。全く応える様子のなさに、諦めてネリネも窓の外を見た。

 車は高速に乗って、都心部から少し離れたところへ向かっていった。高速を下りてしばらくすると、一方通行の多い、細い道へ入っていく。やがてごちゃごちゃとした街へたどり着いた。男はこの辺りの地理を熟知しているのだろう。ナビに頼ることもなく、器用に目的地へ車を動かしていた。
 華やかな都心とは一変して、薄暗いどんよりとした街並み。どの建物もかなりの築年数のようで、至るところの鉄が錆び付いている。中にはもう人の住む気配のない建物もあった。人ひとりがようやく通れる裏道を、ネコがさっと通り抜けていくのをネリネは車の中から見つめた。
 ここよりもずっと小綺麗な街に住んでいるネリネは、初めて見る景色に驚いていた。駅付近には商店街があり、適度に賑やかな街並みしかネリネは知らない。だが、ここにはコンビニすらあるのかどうかも分からない。街全体が時代の流れに取り残されたような雰囲気が漂っていた。一昔前の『昭和』のような匂いがここには残っていた。ネリネはうっすらと忍び寄る得体の知れない恐怖に両腕を抱いた。
「下りろ」
 ひと際静かで、廃墟と言った方が正しい建物の前で、サイドブレーキを引く音が鳴った。
 ネリネはハッと男の方を振り返る。男はネリネが投げつけた書類を集めていた。ネリネの足元に手を伸ばした時に、男の髪がネリネの腕に触れた。ネリネは思わず体を固くする。何枚かの紙を掴んでかがみ込んでいた上体を起こすと、男は固唾を呑んで自分を見つめるネリネに気付いた。
「取って食いやしない。勘違いするな」
「勘違いなどしていません」
 ネリネは顔を赤くした。男は再び書類を拾い始める。ふと、男の上着の隙間から、鈍く黒光りする物がちらりと見えた。
「……銃、を持っているのですか」
「撃たれたくなかったら、大人しく従うことだな」
 男は顔色ひとつ変えずに言った。ネリネは慌てて車から降りた。
 空を見上げると、既に薄暗くなっている。ドアを閉めた瞬間、一羽の鳥が電柱から飛び立っていった。
「こっちだ」
 いつの間にか男は車を降りていた。ネリネは男の方へ向かおうとして躊躇した。今、走り出せばこの男から逃げ出すことが出来るだろうか。男は氷のような冷たい眼差しでネリネをじっと見つめている。ネリネも男を見返した。息が詰まる。ネリネの負けだった。全てを見透かされているような気がして、ネリネは考えを一蹴した。
 その建物にはエレベーターがかろうじて付いていたが、今にも止まりそうなほど、がたついていた。目的の階に到着すると引力に逆っていた反動で、二人の乗っていた箱は大きく揺れた。ふらついたネリネは男の腕にしがみついた。
「ごめんなさい」
 ネリネは男の顔色を窺いながら手を離した。だが男は何も答えずに、ドアが開くと歩き始める。ネリネはむっとしてその後に続いた。


*   *   *


 男は灯りをつけたが、広さの割に灯りが乏しく、部屋はどんよりと薄暗かった。床はフローリングで、男が歩くたびにところどころ軋んだ。住居のような形にはなっているが、ワンルームにしては広すぎるその部屋は、元はテナント用だったのだろう。入り口から見て左手に簡素なキッチンとトイレがあるが、部屋の全体がほぼ見渡せるような作りになっていた。外国のアパートのように玄関というものはなく、土足で歩く男の姿を見てネリネは少し戸惑った。部屋の隅には簡素なパイプで出来たベッドがあり、中央にはテーブルと椅子があった。テーブルの上にはノートパソコンが開かれたまま、スクリーンセーバーがちらちらと光を放っていた。
 男はベッドの上に上着を放り投げた。ネクタイを緩めながら、ぐしゃぐしゃと頭を掻いて七三分けに整えられていた髪を乱す。 
 ネリネはゆっくりと息を吸い込んだ。
 入り口の近くに立っていたが、静かに部屋の中へと足を踏み入れる。
「ここはどこですか」
 テーブルの上のミネラルウォーターを手にしていた男はネリネの方を向いた。
「俺の仮の住まいだ」
「あなたの名前は何というのですか」
「なぜ答えなきゃならない」
 ひんやりとした目を向けられて、ネリネは口をきゅっと結んだ。
 突然、車で連れ去られた上に、なぜこうもぞんざいな扱いを受けなければならないのか。本来ならさっさと立ち去りたいところだが、上着を脱いだことによって露わになった銃がそれを阻ませた。
「クラハシネリネ、お前は人型ロボットについての法的なルールを知っているか」
 しかめ面をしていたネリネに、男は唐突に話を切りだした。
「いいえ、知りません。私の身の回りには、人型ロボットを所持する人がいませんから」
 男は不思議そうな顔をするネリネを一瞥すると、テーブルのパソコンのキーを叩いた。
「これを見ろ」
 ネリネはテーブルに近付く。男はネリネに椅子に座るように言い、自分はテーブルの端に腰を下ろした。画面には運輸局のサイトが表示されている。
「人型ロボットが登録制なのは知っているだろう? おかしなことに、『人型』でも登録するのは車と同じ、運輸局だ。つまり、今のところ日本では人型ロボットは車と同等の『機械』と見なされている。そして政府が認可した印として登録番号が必要だが、それには厳正な審査が必要だ。車ほど楽じゃない。安易に使われて起こる事故を避けるために、個人では殆ど認可されていないのが現状だな」
 説明しながら、男はマウスで該当ページをネリネに見せた。
「ところがだ。ここ数年、人型ロボットの不法所持が広まっている。うまい具合に改造されていて、本来の目的には何ら役に立たないものばかりだがな。何に使うかは」
 そこまで言うと、男はネリネを見た。男の言葉が急に途切れて、ネリネはパソコンの画面から目を男の方へ向けた。
「その殆どの外見が女の様相をしている、と言えば分かるか」
 ネリネは少し考えたが、すぐに目を丸くした。
「平たく言えばセクサロイドだな」
 男は手にしていたペットボトルをテーブルの上に置いた。
「俺はそういう不法所持の人型ロボットを回収する機関の人間だ」


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