----- ファム・ファタールと羊の夢


   >>> 4



「俺はそういう不法所持の人型ロボットを回収する機関の人間だ」
 人間、という部分を微かに強調されたような気がしてネリネはぴくりと眉をひそめた。
「それと私と、どういう関係があるのですか」
「お前もそういう不法所持の人型ロボットだ」
「そんな、私は」
 ネリネは絶句した。
「大抵のロボットは自覚がないがな。ここまでないのも珍しい」
 男はせせら笑った。目の前の人物を見上げながら、ネリネはふと気がついた。こんなに間近にいるのに、この男には気配らしいものが感じられない。
「あなたが今まで私を見張っていたのですね」
 ネリネがそう発すると、男の表情が変わった。
「ほう、気付いていたのか。大したものだ」
 それともロボットだからかな、と男は挑発的に言うとテーブルから離れた。
「よほど注意深い奴でない限り、俺の気配には気付かないはずだ」
「どうしてですか」
「回収は極秘に行われている。お前のようなロボットが存在することが公に知られてはならないのと同様、回収者の存在も知られてはならないからだ。だから俺達は特殊な訓練を受ける。ロボットは人が感知できない気配も感知するが、まずはその気配を極力消すこと、そして身体的特徴やクセを無くすこと」
 男はそう言いながら、テーブルの足元に転がっていたジュラルミンケースを開けた。
「それでも、お前が俺の気配を感知していたということは、お前がロボットであるというひとつの証拠になる」
 男は小さなペンライトを取り出した。立ち上がるとネリネの顔を片手で抑え、目にライトを当てた。
「いやっ、やめ……」
 ネリネが眩しくて目を閉じると、男は目を開けて、と静かに促した。それまでの高圧的な物言いとは違ったことで、ネリネは思わず目を開けた。
「……ふん、瞳孔は収縮。これはハズレ」
 男は低く呟くとライトを消した。
「何をするんですか」
「調査だ」
「何の調査ですか」
「さっきの書類を見ただろう。お前はあまりにも未確認の項目が多すぎる。本当に人型ロボットなのか、幾つかチェックしなければならない。」
 ネリネは立ち上がった。
「あなたは私がロボットだという確信もないままに、こんな所へ連れ込んだのですか」
「それだけ難易度の高い対象物ということだ。そうそういないから、自負してもいいぞ」
「ふざけないで下さい」
「だが、全く確信がないわけじゃない」
 男はネリネの前に写真を突き出した。
「この男がお前の持ち主だ。見覚えは?」
 写真の人物を見てネリネは息を飲んだ。
「……あります。この人は」
 にわかには信じられなかった。
「私の主治医です」
「そう、ゴトウシンゴ医師だ。現在は国立東京第五病院に所属しているな。脳神経外科の専門医だが、一年ほど前から彼の所へ不思議な患者が通院するようになった。彼の縁故らしいが、どうも怪しい。その不思議な患者というのがクラハシネリネ、お前だ」
「私が彼の縁故ですか? それは違います」
「当たり前だ。それは表向きの情報だからな。だが調査してみると不思議なことに、ゴトウは月に一度お前を病院で検診する以外は、なんの接触も持っていない」
 ネリネはゴトウを思い浮かべた。
 時おり眼鏡を押し上げるクセ、暖かみのある柔らかい笑み。
「そして、お前には戸籍がない。今住んでいる場所も名義はゴトウだ。これは知っていたか」
 ネリネは血の気が引いていくのを感じた。
「いいえ、知りませんでした」
「戸籍がないということも、ひとつの証拠となる」
 放心したように、ネリネは再び椅子にすとんと腰を下ろした。
「ゴトウは何の目的でお前を所有しているんだろうな」
 ネリネの様子を見ながら男は呟いた。
「私が、ロボットなら」
 パソコンの画面を見つめたまま、微かにネリネの口から言葉が漏れる。
「ロボットなら、私をどうする気ですか」
「どうして欲しい」
「……放っておいて下さい。私は人として生きてきました。それは変わりません。家に帰して下さい」
「それは無理だ」
「どうしてですか」
 男は微かに目を細めた。
「家に帰れるのはお前が人間だと分かったときだけだ」
「家に帰ることが出来ないのならば、私はここに住まなければならないのですか」
 ネリネは食いつくように問う。男は静かに立ち上がった。ネリネはその動作を目で追った。
「いいや」
 男はネリネをちらりと見下ろす。鉛のようなどんよりとした瞳だった。
「不法なロボットは証拠物件として押収することになっている。照合用のバーコードを腕に焼き付けられて保管倉庫で永久におねんねだ」
「そんな……それは殺人です」
 ネリネは茫然として呟いた。
「殺人? 人でもないし、生きてもいない物に対して殺すなんて言葉は不適切だ」
「私は人として生きています。食事もとるし、睡眠も必要です。きちんと喜怒哀楽もあります。夢だって……」
「プログラムされているだけだろう」
 ネリネはビクリと体を震わせた。それだけ男の遮る声は冷ややかだった。
「お前の感情は自分で生み出したものじゃない。お前の表情、動きのひとつひとつは人によって作り出された物だ。そういう物を何というか知っているか? 機械だ」
 淡々と返す男に、ネリネは眉根を寄せた。
「世間ではお前のような存在はまだ知られていない。もしこのことが広まれば大変な騒ぎになるだろう。おもちゃでなく、既に人間と殆ど変わらないアンドロイドがこの世に存在しているとはな」
「人間とロボットの違いは何なのですか。感情なんて、一人ひとり違うものです。時にはコントロールが出来ないこともあります。それは私も同じです。それでも人として生きることは許されないのですか」
「そうだ」
 男はうっすらと笑った。
「俺が初めて二足歩行ロボットを見たとき、妙に人間くさい動きが気持ち悪いと思った。おとぎ話を現実に変えるテクノロジーはすごい。だけどそれは事実じゃないと思った。その考えは今でも変わらない」
「あなたの方こそ、人間とは思えません」
「そうかもしれない。だけど俺は人間だ。俺の体は全てなまものだし、その証拠に体を傷つければ血が出る。その血も心臓がちゃんと動いて、体内を循環しているからこそ出てくるものだ。人間と他の生き物の違いは、物を生み出すことと、考えることだと言うが、物事全てを計算尽くで考えて行動したりはしない。だがお前はすべて緻密に計算されて、最も適切な数値がはじき出されて動いている。規則正しく動く時計と同じにな。考えているんじゃない。入力された外部情報に対して、最も相応しいとコンピューターが判断した言動をしているだけだ」
「……」
 突然ネリネは立ち上がった。そのまま入り口の脇にある簡素なキッチンの方へ向かう。
「おい、どこへ行く」
 男の声に反応することなく、ネリネは包丁を取り出した。それを見た男がネリネの元へ駆け寄ったときには、ネリネは自分の腕を切り付けていた。
「何やってるんだ」
「血は……、血は、私も出ます」 
 男は咄嗟にシンクの脇にあったタオルを掴んで、ネリネの腕を押さえつけた。タオルがじわりと赤く染まっていく。その様子をネリネはぼんやりと見つめて呟いた。
「本当に私の体を切り開いたら、中身は機械だらけかもしれません。でも私は生きています。他の人と何ひとつ変わるところなく、感情を持って生きています。顔色ひとつ変えないで私を見下ろすあなたの方が人間じゃありません」
 なかなか止まらない血に、男は舌打ちをした。ポケットからハンカチを取り出し、ネリネの上腕を縛る。ネリネはされるがままになっていた。
「教えて下さい。人間とロボットの違いとは何ですか。私は何が間違って生まれてきたのですか」
「いい加減にしろ」
 血の気がなくなって青ざめているネリネに向かって、男は声を荒げた。
 私は、と微かに呟いて、ネリネは意識を失った。


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