----- エクストラホット!


   >>> 4



「調子はどう? ま、訊くまでもなさそうだけど」
 香世に包丁を借り、焼き肉の材料をおいていたテーブルの上で幸はスイカに包丁を入れ始めた。手伝え、というのはほとんど口実で、妃奈子はそれを脇で大人しく見ている。
「えっと、元気だよ」
 やっと佳寿達から解放されたのに、今度は二人きりという状況に緊張して上手く喋れない。公園でケーキを食べたときには不思議なほど取り留めもなく話が出来たのに、と妃奈子は浴衣の袖をぐっと握って手のひらの汗を拭う。
 そんな妃奈子に幸はお構いなしの様子だったが、押し黙っているのに気付いてちらりと妃奈子を見た。目があって、妃奈子の頬が微かに染まる。
「ちゃんと眠れてる?」
 その言葉に、この間起きた出来事が頭をよぎった。失われていた記憶が戻って、一時は事件当時の様子が夢に出てうなされてはいたが、佐久間家に来てからようやくそういうこともなくなってきた。もちろんそこまで幸が知っているはずもないが、妃奈子はまるで見透かされているような気がして、ほんの少し言葉を詰まらせた。
「…もう、大丈夫」
「そりゃよかった」
 幸はスイカに目を落としながらクスッと笑った。
 “もう”ということは、やはり最近まで眠れてなかったんだろう。幸はそう察した。学校でのやりとりの時に気付いたが、強がるような発言をしていても、こういうちょっとしたところで妃奈子は素が出る。強気な部分と、実際の弱い部分と、微妙な均衡を保って妃奈子が成り立っている。
 妃奈子の言う、自分に対しての「好き」という表現に、あの日は結局認めることにしてしまった。その辺に転がっている恋愛感情としての「好き」とは少し違うような気がしたからだ。多少は死んだ兄と重ねているところもあるはずだろうし、何より異性への恐怖をなくす大きな一歩になる一言だった。そもそも人間不信気味だった妃奈子の場合は、もっと枠を広げて、人として「好き」という意味合いなのかもしれない。
 あの時、それに気付いてしまったら「いいよ」としか言えなかった。
 受け入れたからといって、自分もその気持ちに応えなければならない義務など、今の妃奈子を見る限りないようなものだ。
 幸自身も妃奈子の位置づけはまだよく分かっていない。被害者でもあり、妹のようでもあり、かつての自分のようでもある。それら全てを置き去りにして恋愛対象として見るには、妃奈子はあまりにも複雑だった。
 それに性急に事を進めたところで、せっかく形作られてきつつあるものが崩されてしまえば、それは二度と元には戻らない。そう思うと、なおさら妃奈子の気持ちをかき乱すようなことはしたくなかった。
 だからこのまま、しらばっくれていよう。自分の気持ちにも、妃奈子の態度にも。
 そんなことをぼんやりと考えながら、幸は切り分けたスイカを大皿に並べるよう妃奈子に言いつけた。
 手際はいいのだが、見事なまでに不揃いな形のスイカを見て妃奈子は苦笑した。
「あら、アナタ、まさか俺が不器用でこんな風に切ってると思ってんの? ちびは小さいヤツ、クソガキはでかいヤツ、ちゃんと体のサイズに合わせてあるんですよ」
 澄ました顔でもっともらしいことを言うが通用しない。さらにくすくすと妃奈子は笑いながら、切ったばかりのスイカを皿に並べていく。幸もふっと笑った。


 ちょうど焼き肉に飽きた頃だったらしく、みんなスイカに群がり始めた。
 誰が持ち込んだのか、庭の片隅にキャンプ用の折り畳み椅子が転がっているのを幸が見つけた。妃奈子は幸と並んで座ってスイカを頬ばる。
「甘くておいしい」
 普段あまり見せることのない極上の笑みで妃奈子は幸に笑いかけた。幸も目を細めて笑い返したが、すぐにその笑みがひいた。
「こら、気を付けないと浴衣が汚れるぞ」
 膝の上にぽんとハンカチを放ると、その上にスイカの果汁がぽとりと落ちた。
 慌てる妃奈子に、敷いとけば、と幸は横目で見ながらがぶりとスイカに噛みつく。果汁がぽたぽたと開いた足の間から地面に落ちていった。
「夏も終わりだな」
 薄暗くなった庭を小学生達が花火、花火とはしゃいで駆け回るのを見ながら、幸は独り言のように呟いた。
「うん」
 口端を指で拭いながら妃奈子は答えた。
「今年の夏もクソ暑かったわ」
「うん」
 妃奈子はタバコを取り出して咥える幸の横顔をちらりと盗み見た。まだ火のついていないタバコが、幸の口の動きに合わせて上下に揺れる。
 話したいことはいろいろあったが、別に今じゃなくてもいいかと妃奈子は思い直した。こうして隣にいるだけで不思議と元気になれるのだ。
 よし、と弾みをつけて立ち上がる。ゆっくりと見上げる幸に手を差し出した。
「貸して、それ捨ててくる」
 幸から受け取ったスイカの皮を手に、妃奈子は軽やかな足取りで人混みの方へ向かう。途中くるりと振り向いた。
「保苑さんも花火するよね? 何が好き?」
「線香花火」
「そんな地味なのでいいの?」
「何言ってんの、あれは人生の縮図を表してる素晴らしい花火だぞ」
 妃奈子は眉間にしわを寄せた。首を傾げながら、人混みの方へ歩いていく。幸はタバコに火をつけた。
 線香花火の束を手に妃奈子が戻ってくると、幸がライターの火を差し出した。しゅるしゅると音を立てて炎が花へと変わった。
「小さくてカワイイ」
 か細い火花を咲かせるのを見つめながら妃奈子は呟いた。幸も一本つまんで火をつける。
「なぜか線香花火やるときって、みんな一斉にしゃがみ込んで会話がなくなるのな」
 え? と幸の前にしゃがみ込んでじっと炎を見つめていた妃奈子が顔を上げた。
「どうしてこれが人生の縮図なの?」
「もう終わりかなと思っても、まだ必死に一花咲かせようとするでしょ」
「ふうん」
 妃奈子は腑に落ちなさそうに、黄色く熟れたように光る玉から微かに散る火花を見つめる。人生の縮図だと言われても今の妃奈子にはピンとこない。
「この線香が燃えるまでは、ってか」
 さらに訳の分からないことを呟く幸に、妃奈子は不思議そうな顔をした。
 一本の線香が燃え尽きるまでは相手をする、という意味で、芸者遊びで時間を計るために線香を用いたことなど妃奈子が知る由もない。幸自身も話に聞いただけだが、こうして妃奈子と二人で線香花火を見つめていると、ふとそんな「遊び」をしているような気がしてくる。妃奈子の浴衣姿がそう催させるのかもしれない。
 じゅっと音を立てて火種が消えた。
 終わっちゃった、と妃奈子が寂しそうに笑った。


 妃奈子が幸の横で嬉しそうに微笑んでいるのを、佳寿は渋い顔で見ていた。
「嘘だろ、及川がめちゃめちゃ笑ってるよ」
 茫然と立ちつくして佳寿が見ている方へ駿二も目を向ける。さっきまで表情を強張らせていた妃奈子が楽しそうに幸と花火をしていた。
 これは駿二にも意外な姿だった。相手が女子でない限り、学校ではまずあんな表情は見せない。先生が相手の時でさえどこか構えている。短期間しか学校にいなかったにもかかわらず、幸は女子に異様に人気があったが、その時だって妃奈子は好意的な接し方はしていなかったはずだ。妃奈子が連続殺人事件の最後の標的だった事が大きく関わっているのだろうか。二人を食い入るように見つめながら駿二は考えた。
 及川に何があったんだろう。
「あああ、どさくさに紛れて俺の及川に触るなぁ」
 佳寿が横で素っ頓狂な声を上げた。触るといっても、子供の頭を撫でるような仕草で妃奈子の頭を撫でただけだ。
 いつからお前のものになったんだよ、と駿二は呆れながら心の中で突っ込む。
「なんで? なんで嫌がんねーんだよ?!」
「確かに…」
 二人で訝しんでいると、ふっと顔を上げた幸と目線があった。幸は咥えていたタバコを口から離すと、こちらをじっと見つめたままふーっと煙を吐き出した。思わず二人はごくりと息を飲んだ。
 煙を吐き出し終わると、幸はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
 もちろん妃奈子はそれに気付いていない。
「あ、あ、あいつ…っ、笑いやがったぞ?! 何だよあれ!!」
 ぎょっとして佳寿は目を見開いた。駿二も言葉を失った。
「…確信犯だ」
「っかぁー! ぶっ殺す。ホソノぜってーぶっ殺してやる。あのエロオヤジ、抹殺だ!」
 佳寿は興奮して頭を掻きながら叫んだ。
 少し離れていたところにいた花垣が、見るに見かねて口を挟んだ。
「妃奈子ちゃん狙いなら、無理無理。保苑さんが通った後にはペンペン草も生えないって言われてるんだから」
「はあ? 何だそれ」
「あの人がただ通るだけで、女という女は根こそぎ持ってかれちゃうんだよ」
 どんよりとした花垣に、佳寿は複雑そうな目を向ける。
「そんなのカンケーねえよ。あんなクソじじい、及川が相手にするかっての」
「いや、でも相手してるでしょ、アレは」
 駿二がぼそっと呟いた。佳寿がうっと詰まる。遠い目をしながらさらに花垣は呟く。
「保苑さんって被害者にはあんまり深く関わらない人なんだよね。だからああいうの珍しいんだ。しかも相手は女子高生でしょ、もー意外すぎてびっくり」
「じゃアイツもしかしてロリコンか?!」
 佳寿はキモッと叫んで顔を歪めた。その言葉がさらに傷心の花垣の心をえぐる。
「だったら学校でもっと楽しそうにしてたと思うけど」
「え、楽しんでなかったの?」
 不意に呟く駿二に花垣は驚いた。駿二はええ、と答えた。
「なんか、基本的に無表情っていうか…群がる女子とかにも淡々としてて、あんま愛想のいい人には見えなかったですけど」
「へえ…。なんだ、完全に仕事モードだったんだ」
「仕事モード?」
「ああ、保苑さんてオンオフ激しいんだ。事件のない時は婦警曰く人にちょっかい出して遊ぶ“お茶目さん”か、ぐーたらしててテコでも動かないような人だけど、事件が起きれば敏腕刑事に早変わり。警視庁のエリートだしね」
 愛想は良くなかったが、教師からも教生と思わせていたのだ。その点では間違いなくエリート刑事なのだろう。だが、少なくともお茶目さんではなかった。佳寿と駿二は顔を見合わせた。
「しかもさぁ、あのヒト笑顔で瞬殺するからねぇ。下は幼稚園児から、上はおばあちゃんまでをも虜にするから、あの人が交番勤務でもやろうもんなら…」
 そこまで言うと、はぁと花垣は恨めしそうに溜息をついた。佳寿は眉間にしわを寄せて、心の中に沸き起こったもやもやした感情をかき消すように声を荒げた。
「カ、カンケーねぇよ、んなの!」
「保苑さんを相手にするには10年、いや20年くらい早いかもね」
「ざけんな、うるせ…あっづーーー!!」
 佳寿が飛び上がって叫ぶ。佳寿の足元で花火が勢い良く燃えていた。いつの間に佳寿の背後にいたのか、それを手にしていた幸は佳寿が睨み付けるのも構わず目を細めて一同を見回す。
「何うだうだやってんだよ。オラ楽しめ、笑え」
「笑えるかっ」
 やっぱこの人は敵にしたくない、と花垣は脱力したように肩を下げた。
「このクソじじいっ…」
 佳寿が幸に向かって敵意をむき出しにして拳を強く握る。
「アイツが見てんぞ」
 幸が見下ろしながらぼそっと呟いた。
 何言ってんだと佳寿は幸の背後に目を向けた。少し離れたところで、幸をぶつ気なのかと不安げながらも非難するような目つきの妃奈子がいる。佳寿はうっと息を飲んだ。あんな顔をされてしまっては何も出来ない。
「だいたい花火なんて熱くねぇだろうが」
「熱いだろ!!」
 しれっとタバコを吹かす幸に佳寿はううっと唸った。
「えー、アレ飛び越えるの、一度はみんなやるだろ」
 幸が示した先には、地面に置かれた筒から華やかな火花があがっている。
「やんねぇよ…」
「保苑さん、そんなことやってたんですか」
「腕白小僧だったから」
 呆れる花垣に幸はうふっと笑う。その笑みに花垣の言う『瞬殺』のようなものを感じて佳寿は狼狽えた。
 燃え尽きた花火とタバコをバケツに放り込むと、幸は花垣の方を振り返った。
「花垣、そろそろ戻んぞ」
「あ、ハイ」
 花垣は慌てて佳寿と駿二の間をすり抜けた。
「そんじゃ、またね」
 幸はにやりと笑みを浮かべて二人を流し見る。
 それから妃奈子の方に振り返ると手を挙げた。妃奈子も小さく手を振る。
 柔らかく微笑んだ幸の表情は、妃奈子にしか見えなかった。


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