----- エクストラホット!


   >>> 3



「妃奈子ちゃん、ちゃんと食べてるか?」
「えっ、はい。食べてます」
 佐久間が席を外した隙に、弦に満面の笑みで言われて妃奈子は慌てた。
「なんだぁ、野菜ばっかりじゃないか。肉も食べなきゃ。よーしおじさんが取ってきてやろう」
 そう言うなり、弦は楽しそうに網の方へ向かっていく。
「え、や、あの…」
 お肉はそんなに好きじゃないんですけど…。
 とは言えるはずもなく、妃奈子は困惑しながら弦が網に群がる中高生を蹴散らすのを見つめた。本当はこのようなイベントに参加するつもりはなかったのだが、佐久間の『保苑さんも来るかも』という言葉につい乗せられてしまったのだ。
 だが次第に、来るかも、なのだから来ない確率の方が高いような気がしてきた。
「及川っ、及川だろ?」
 突然背後から声を掛けられて、妃奈子は縮み上がりそうになりながら、恐る恐る振り向いた。
「あ、やっぱり」
 そう言ってにこやかに笑う少年は、窓から見下ろした時に見た顔だ。確かに同じクラスだったような気がしたが、名前が思い出せない。
「なんで及川がここにいんの?」
 なんでと言われても、今となってはこっちが訊きたいぐらいだ。動揺して、顔が火照り始めたところへ、佐久間の天の声が響いた。
「コラ、咲野。アンタ何イジメてんの」
「なにもしてねぇっつーの。俺様は及川と同じクラスなのっ」
 ああ、そうだ。確か咲野佳寿だった。
 ホッとして妃奈子が小さく溜息をつくと、佐久間が同じクラスってホント? と妃奈子を覗き込んだ。首を縦に振る妃奈子に、佳寿はほらなっと勝ち誇った笑みを佐久間に向けて腕組みをした。
「で、土師は? 相変わらず咲野に振り回されてんでしょ? 不機嫌そうね」
「別に。いつも通りだよ」
 苦笑する佐久間から、駿二はついと目を逸らせた。佳寿は再び妃奈子の方を向く。
「及川、浴衣チョー似合ってんな」
「…ありがとう」
 逃げたい。妃奈子の頭の中はそのことでいっぱいだ。
 そうこうしてるうちに弦がこんもりと肉の入った皿を持ってきそうだし、肝心の幸の姿は見えないし、咲野佳寿からしきりに話しかけられるしで、妃奈子はパニックに陥りそうだった。
「あーっ、佐久間さーん」
 門の方から佐久間を呼ぶ声がした。佐久間が振り返る。これで頼みの綱の佐久間まで奪われてしまったら、妃奈子は完全にお手上げだ。泣きそうな思いで声のした方を見た。
「ああ、来た来た。遅いわよ」
「仕事してたんですよ。仕事!」
「その割には顔がつやつやしてるじゃないのよ」
 佐久間と花垣のやりとりの背後から、そろりと人影が動いた。
「随分と盛況だな」
 その姿を見て妃奈子は体の力がぷしゅっと抜けていくのを感じた。
 浴衣だぁ、と嬌声を上げて駆け寄ろうとする花垣には目もくれず、妃奈子は幸だけを見つめていた。久しぶりに見た姿はまごうことなく、妃奈子が求めているその人だ。
 幸はちらりと妃奈子を見ると、ほんの少し顔を綻ばせた。妃奈子から緊張感が解ける。だが心とは裏腹に、何か言いたくても何も言葉が浮かばない。それでもようやく口を開きかけたとき、横から佳寿が叫んだ。
「うあ、ホソノだ」
「ホソノ言うな」
 顔を引きつらせる佳寿を高圧的に見下ろしながら、幸はツッコミを入れた。
「なんで来てんだよ」
「佐久間に呼ばれたから」
「はあっ? なんで?!」
「この人らが刑事なの忘れたの?」
 駿二に言われて佳寿はそっか、と呟いた。
「ホソノって先生じゃなかったんだっけ」
「正確には先生でもなかったけどな」
 呆れ顔で幸はタバコに火を付けた。
「咲野、少しは勉強してるか? 言っちゃ悪いがお前、ほんっと人の話聞かなかったしな」
「カズが話聞かずに喋りまくるのは現在進行形だよ」
 余計なことを、と佳寿は駿二を睨み付ける。
「みたいだな」
 幸はクスッと笑った。佳寿はううっと小さく唸るとうるせーなと呟く。
 幸が教生として教壇に立ったとき、話をいつも引っかき回していたのが佳寿だった。口開ける前に話を聞けと幸が言うたびに、佳寿は女子生徒から一斉に冷ややかな視線を浴びせられていたのだが、当の本人はまるで気にしてはいない。
 会話にいまいち入れない妃奈子は、口をきゅっと結んで幸と佳寿達を交互に見ている。それに気付いた幸はそうだ、と妃奈子に向かって含み笑いをした。
「頑張ってるようだから、ご褒美をやろう」
 途端に妃奈子の目がぱっと輝く。ハイ、と幸が差し出した緑色の球体に一同は歓声を上げたが、妃奈子と駿二はそれを見て固まっている。駿二の場合はくだらない、という卑下によるものであるが、妃奈子は目の前の物体をしげしげと見てから、ようやく口を開いた。
「えっと、これは…」
「スイカ」
 それは分かるけど、と妃奈子は呟いた。タバコの火を靴の底で消すと、幸は近くにあったゴミ袋に向けて吸い殻を放り投げる。
「頑張りついでに、切り分けるから包丁借りてきて」
「え? う、うん」
 促すように親指で背後を指し示す幸に、妃奈子はぱちぱちと瞬きをした。
「俺も、俺も手伝う」
 佳寿が頬を赤くして叫んだが、佐久間がアンタは大人しくしてなさい、と制した。
「保苑さんは妃奈子ちゃんに用があるの」
「なんで?!」
「スイカ切るだけで何人もいらねぇよ。お前は邪魔」
 からかうように幸が佳寿に向かってしっしと手を振った。妃奈子は遠慮がちに佳寿の方をちらりと見て幸の方へ進む。が、よそ見をしている間に、近くでふざけていた大学生がふらついて妃奈子にどんとぶつかった。体格の差で当然のごとく、はじき飛ばされるように妃奈子はよろめき、履き慣れない下駄がバランスを失わせた。
「あ」
「妃奈子ちゃん!」
 咄嗟に佳寿が手を伸ばしたが、間に合わない。
 ぶつかった大学生がはっとして背後を振り向いたときには、妃奈子の体はぐらりと前のめりに傾いていた。
 誰もが転ぶと思ったその瞬間、幸の腕が受け止めた。さすがに幸も間一髪だったせいか、安堵の息を吐く。妃奈子は茫然としたまま、幸に支えられていた。
「ったく、前見て歩きなさいよ」
「ご、ごめんなさい」
 自分の身に何が起こったのかようやく判断がつくと、妃奈子は慌てて幸から離れた。
「ま、うなじの眺めは良かったけどね」
 それを聞いて妃奈子の顔が一気に赤く染まる。ホラ行くよと幸が再び促し、妃奈子は慌てて後に続く。
 一同は呆気にとられたように二人が人混みに紛れていくのを見送った。
「…だから僕、保苑さんと来たくなかったんですよぅ」
 妃奈子ちゃんに話しかける隙もなかったじゃないですか、と花垣は佐久間を見上げて睨む。あたしに当たらないでよ、と佐久間は相手にすることなく、香世を手伝いに向かう。
 佳寿は眉間にしわを寄せてその場に立ちすくんでいた。
「なんで! 俺の方が近くにいたのに。なんでアイツの腕の方が先に伸びてんだよ!」
「…リーチの差?」
 横にいた駿二がぼそりと呟いた。確かに180を越える幸に比べ、佳寿は170センチに満たない。腕の長さからして違うのだが、佳寿はそれだけではない何かがあるような気がしてならない。地団駄を踏みながら佳寿は声を張り上げた。
「しかもうなじの眺めってなんだよ!!」
「大人のたしなみってとこじゃない」
 淡々とした表情で駿二は呟いた。
「お、お前っ」
「なんか早くも先制点って感じだよね」
 あの余裕、ムダのなさ。あんな風にするりと妃奈子を連れ出す手腕なんて、哀しいほど佳寿にはない。先制点も何も、本当は明らかに勝負はついたようなものだ。そう思いながら駿二は紙皿を無造作にゴミ袋へ突っ込んだ。 
「あれ、妃奈子ちゃんどこ行った?」
 二人が振り返ると、肉が山盛りとなった皿を手に弦が立っている。
「ホソノが拉致ってった」
「はあ?」
 憮然と答えた佳寿に弦はきょとんとした顔をしたが、それならと手にした皿を駿二に押しつけた。
「仕方ないな、お前らにやる」
「え、ちょっと…」
 手渡すと同時に二人に背を向けた弦に、駿二は声を上げたが、弦にはかすりもしなかったようだ。そのまま無視して弦は立ち去った。
「…俺、腹一杯だから」
「僕もだよ」
 どうすんだよこれ、と駿二は眉間にしわを寄せて心底嫌そうに溜息をついた。
「僕が貰うよ」
 佐久間にてんで相手にされず尻尾を巻いて戻ってきた花垣が恨めしそうに呟いた。


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