----- 45rpm





 その日あたしは某CDショップにいた。
 クラブやテクノのジャンルコーナーで、あたしはしかめ面をして2枚のCDをそれぞれ手にして立ちすくんでいた。
 なんでこんなに、ぽんぽんリミックスアルバム出すかなぁ…。
 お金ないのに。
 今日は担任にこのままじゃ志望校は無理だぞとか脅されて、それでなくてもむしゃくしゃしてたのに。だいたい、まだ4月のうちからそんなこと聞きたくないっつーの。
 ここは一つ、好きな音楽でも聴いてストレス解消だと思ったらこの仕打ちかい。
 イライラの限界だよ。
 何か刺激が欲しい。
 全てを忘れちゃうような、刺激が欲しい。

 このままパクってしまおうか。

 一枚はちゃんと買って、もう一枚はこっそり鞄に忍ばせちゃうとか。それなら警報なってもばれないかも。…ココがレンタルビデオ屋ならあっさり失敬できちゃうのに。
 辺りを見回してみた。とりあえずあたしの周りに人はいない。店内はアイドルの最新アルバムの曲ががんがんに掛かってて、一瞬ココはどこで自分は誰なのか、麻痺したようになる。
 やるなら今か?
 万引きってしたことないけど、見つかったら、どのくらいまずいんだろう?
 とか考えるうちに右手に持っている方のCDがするっと滑った。偶然にしては上手すぎるくらい、鞄の中でことんと音を立てて落ちていった。その音だけ、ピンポイントでみんなの耳に行き渡ったんじゃないかという気がして、顔が赤くなるのが自分でも分かった。
 やばい、偶然にしてもこれって立派に万引き行為に見えちゃうよね?

「今度もまたリミックスなんだな」

 突然あたしのすぐ横から腕が伸びて、ついさっき鞄に落ちていったCDを棚に戻した。
 あたしはその場に硬直した。
 確かに、誰もいなかったはず。目の前のCDがずらりと収まった棚が、一気に遠のいていくような感覚に襲われた。
「こうしょっちゅう出されちゃ、高校生にはキツいよねぇ」
 あたしの耳元で、低い声が響いた。
 そうなんです、キツいんです。心の中で返事をする。
「でもって、こいつらのってリミックスの方が良かったりするんだよな」
 ええ、もう、その通りです。
「だけど、パクっちゃうのは短絡過ぎやしないかな」
 店員? だったらもう絶対おしまいだ。ええと、まず警察に通報されて、それから親が呼び出し食らってそれから、それから…。
 ああもう、今更手が滑っただけなんて言っても信じてもらえないのかなぁ?!
「まあ、いいわ。見なかったことにしてやるよ」
 あたしは思わず振り向いた。
 背後に立っていたのは、大学生ぽい男の人だった。耳元で声がしてたけど、かがみ込んでたんだろう、かなり背が高い。
 それに、かっこよかった。
「なんで?」
 よっぽどあたしがびっくりして間抜けな顔をしてたのか、その人はくすっと笑った。
「なんでって、気持ちは分からなくはないから」
 その人は自分が手にしていたCDを持って会計のコーナーに行く。あたしは買おうと思ってた方も棚に戻すと、その人の後を追った。

「なに?」
 会計を済ませるとその人は、いぶかしげにあたしを見た。
「なにって、だって」
「もういいでしょ、チクんなかったんだから」
 そう言いながらさっさとタイミング良くやってきたエレベーターに乗り込んでしまう。閉まりかけたところへ強引に滑り込むと、まだついてくるのか、と言いたげに、目を細めてあたしを見下ろした。
「お兄さん、何者?」
「通りすがりの客です」
 なにしれっと答えてんのよ。なんかムカつく。
 建物を出ると、その人はタバコを取り出して火を付けた。
「なに?」
 あとをついていくあたしに、もう一度うざったそうに振り返ってあたしを見下ろす。
「別に。進む方向が同じなだけだよ」
「あ、そう」
 一本吸い終わる頃になると、その人はまた別の建物の中に入っていく。今度は某デパート。エスカレーターをとろとろ上って、メンズ服のフロアにたどり着いた。

 さすがに、ここはあたしのテリトリーじゃない。けど、あたしはそのままついていった。フード付きのミリタリーチックなパーカーに、Tシャツと細身の綿のパンツって具合にけっこうラフな格好なのに、さっきから見てるのはブランドもののスーツとかなんですけど。
 サラリーマンには見えないし、かといって大学生ってこんなのも着るのか? そう思っていると、店員がその人を見つけて嬉しそうに声を掛けた。
「あ、久しぶりじゃないですか」
 これってある程度、常連じゃないと言われないよねぇ。
「相変わらず忙しいんですか?」
「まあ、世の中いろんなこと企む人がいてね」
「アレ? あの女子高生は? もしかして補導っすか」
「俺が捕まったんだよ」
 店員の男の人はその人とあたしを見比べると笑った。
 誰が補導よ、誰が。あたしが遠巻きに睨み付けるのも構わず、その人は適当にジャケットを漁っている。
「そうだ、保苑さんそのうち絶対来ると思ってとっといたのがあるんすよ」
 あの人、ホソノっていうのか。あたしは耳をダンボにしながら、その辺のシャツとかをごそごそ漁る。…メンズだけど。
 店員のお兄さんが取り出したのは、焦げ茶色の3つボタンのスーツ。試着だけでもしてみて下さいよ、という言葉に、その人…保苑さんは素直に従って試着室へ入っていく。
 その間、あたしはさらに居心地が悪くなって、今度は小物とかを眺めてみる。
「保苑さんの知り合い?」
「い、いえ」
 急に声を掛けられてあたしは弾かれたように思わず大きな声で答えてしまった。うう、恥ずかしい。
「そういう訳じゃ…」
「じゃほんとに補導されたとか? あの人が女の子連れてるの見たことないもんなー」
 そんなにモテない人なんですか、保苑さんて。パッと見、けっこうカッコイイかもとか思ったんだけど、実は中身に問題ありとか? にしてもなんでさっきから補導、補導って。
 せめて援交とかにして欲しい。
 思わずそう呟いた途端、試着室の中からごほっと咳き込む音がした。
 お兄さんはけらけらと笑った。
「あの人、刑事さんだよ?」

 …は?

 あたしからかわれてる?
 だってどうみてもそんな職業の人に見えない。大学生だとばっかり思ってたのに。嘘でしょう? それに、そうだとしたら、あたし刑事さん目の前にして万引きしようとしてたってこと? そんなのアホすぎる。

「あ、お疲れさまー。やっぱりね、絶対似合うと思ったんすよ」
 試着室から出てくると、保苑さんは眉間にしわを寄せてあたしを睨んだ。誰がお前と援交なんてするか、とその目が語っている。…私だって刑事が相手なんてシャレにならない。頼まれてもごめんですよーだ。
 だけど。
 着替え終わって出てきた保苑さんの姿にあたしは目が点になる。
 海外ブランドの広告に出てくる外人モデルにも引けを取らないくらい、似合ってた。色も焦げ茶色の髪の色とぴったりだ。
 普通に袖の具合や裾の辺りを鏡の前でチェックしてるだけなのに、立ち姿がさまになりすぎてる。細身だから華奢なのかと思ったら、意外と胸板とかありそうな感じ。だから余計にスーツ姿が栄えてる。なんなのこの人は。
 ていうか、なんであたしこんなに凝視してんだ。
「パンツの裾上げも、必要ないっすね」
「…って、買わせようとしてるね」 
「だってスーツ見に来たんでしょ?」
 片方の眉をぴくりと動かして、保苑さんはお兄さんを見る。お兄さんはにやりと笑う。
 その格好のまま、諦め悪くほかによさそうなのはないか探すけど、どうもこのスーツ以外にぴんと来るものはないみたい。
「相変わらず、客の探す楽しみを奪う男だな」
 保苑さんは苦笑しながら試着室に戻ってった。

「君も似合うと思ったでしょ?」
 保苑さんから受け取ったスーツを畳みながら、お兄さんはあたしに笑い掛けた。
「うん」
 コレは事実。あたしは素直に頷いた。
「ほらね、俺の目に狂いはないんすよ。なんなら専属スタイリストになりますよ」
「アホか、どこの公務員がスタイリストなんてつけんだよ」
 呆れたように保苑さんが言うと、お兄さんはあははと声を上げて笑った。

「ねえ、ほんとに刑事さんなの?」
 建物から出ると、保苑さんはまたタバコに火を付ける。脇にはさっき買ったスーツの入った袋を下げている。
「女子高生相手にそんな嘘付いても、なんのメリットもないでしょうが」
「じゃあ、証拠見せてよ、証拠。そうだ手帳!!」
 あたし、一度本物見たかったんだよね。
「無理」
 保苑さんはスパーッと煙を吐きながら、言い放った。
「無理って?」
「持ってないから」
 じゃあやっぱり刑事なんて嘘なんかい、とつっこみを入れると今度は鼻から煙を出す。…ああ、カッコイイ顔してそんなことしちゃうんですか。鼻から煙出してると、鼻毛早く伸びるのに。
「だって、せっかくの休みの日に持ち歩いてるとめんどくさいし」
「それって職務怠慢なんじゃあ…」
「失敬だな。ちゃんと働いてる」
「どこが?」
「万引きを未然に防いだでしょうが」
「うっ…」
 あたしは思わず立ち止まる。確かにそうでした。
 保苑さんは振り返りもせずに歩いていってしまうから、あたしは慌てて追いかける。少しは待ってやろうとか思わないの? ああもマイペースでよく刑事なんかやってられるな。
 いや、だから務まるのか?
「勝手に付いてきといて、なんで文句言われなきゃならんのさ」
 保苑さんは呆れたようにあたしを横目で睨んだ。
「これ以上くっついてくるとほんとに補導すんぞ」
「別に悪いコトしてない」
「あっそう、じゃあ学校と学年、名前に生年月日」
 少し怯んだけど、別にメモする様子でもなかったから、あたしは全部まともに答えてやった。
「へえ、マキコちゃんか」
 保苑さんはまた新しくタバコに火を付けて、ふふんと笑った。
「受験生じゃんよ、ちゃんと家帰って勉強しな」
「うるさいなあ、なんでオトナって、すぐそればっか言うの?」
 思わずあたしは、大きな声を上げて保苑さんを睨み付けた。言ったすぐあとで後悔した。初対面の人に、なに当たってんだ、あたし。
「…ごめんなさい」
 唇をぎゅっと噛みしめる。もうほんとにこの人に関わるのはやめようと、きびすを返そうとしたとき、保苑さんが待った、と呼び止めた。
「今週の金曜日、さっきのCDのDJが来るイベントあるんだ。よかったら連れてくけど?」
 あたしは振り返って保苑さんを見上げる。なんでそんなこと言うのかさっぱり分かんない。ついさっきまで勉強しろって言ったクセに。
「…行くっ」
「言っとくけど終電までだからな」
 それでもよかった。
 今のこの状況を忘れられるなら。


   *    *    *


 眠らない街。六本木。
 と言うけれど、それはホントなんだなあと実感した。
 アマンド前でねって言われて、さっきから保苑さんを待ってるけど、なんだか異国の地に来たような気分。見た目も中身も軽そうな黒いスーツ着たお兄さんや、派手なカッコのお姉さん、それからマッチョな外国人。いろんな人たちがごった返している。
 その中にぽつんと一人でいると、なんだかダマされたんじゃないかって気がしてきた。
「あー、悪い。待たせた」
 いきなり背後からぽんと肩を叩かれてあたしは飛び上がりそうになった。
 振り返ると保苑さんが立っていた。
 ジャケットの下の派手めシャツにまず目がいった。派手なんだけど、その辺歩いてるお兄さん達みたいに全然下品じゃない。胸元のボタンが二つくらい開いてて、セクスィーって感じ? この人ってホント刑事には見えないなあ。
「なにぼさっとしてんの。行くよ」
 保苑さんはタバコに火を付けながら怪訝そうな顔してそう言うと、すたすたと横断歩道を渡っていく。慌てて保苑さんに付いていった。
 ちょっと路地裏っぽい道に入る。
 あ、あ、あ。こんな所にクラブがあるの? あたし高校生だけど、入れんのか?! ていうか、上手くごまかせればお酒とか飲めちゃう?! 
「モチロン分かってるとは思うけど」
「はい?!」
「俺の目ごまかして酒飲もうなんて企みは一切捨てろよ」
 あ、そうですか。

 一歩、中へ入るとスゴイ重低音が充満している。あたしは一見さん丸出しの態度で、辺りをきょろきょろしながら保苑さんの広い背中について行く。
 フロアはいろんな人がひしめいて踊ってる。
 ぼーっとしたように見ていると、保苑さんにまた肩を叩かれた。何か言ってるけど、音楽にかき消されて良く聞こえない。
「俺ちょっと会う人がいるから、踊ってくれば?」
 流れてる重低音に負けないくらいの低い渋い声。耳元で言われてあたしはどきっとした。仰ぎ見ると保苑さんは邪魔者を追い払うように手をひらひらさせている。
 なんだあたしは邪魔者かよーと思ったけど、耳慣れた曲が流れ始めてあたしはDJブースの方へ目を向けた。
 ナマで聴くのは初めてだった。
 歓声が上がる。
 重低音が胸に響く。ううん、肺に響く。肺は空洞なんだなあっていうのを実感した。振動で震えてるのが分かる。
 息苦しくなるくらいの音の圧力なのに、すごく気持ちが良かった。
 気が付いたらカラダが勝手に動いていた。
 なんてこんなに心地いいんだろう。踊ってたらついさっきまで頭を占めていた悩みが吹き飛んだ。つかの間かもしれないけど、それでも部屋でくさっているよりずっといい。
 保苑さんの姿を探して、バーで誰かと話してる保苑さんの姿を見つけた。思わず手を振ったら、気付いたみたいでうっすら笑ってた。
 その時あたしはふと気付いた。
 そうか、同じ刺激ならこういう刺激の方が断然良いよね。
 なんであんなバカみたいなこと考えちゃったかな。
 みんな同じ曲でいろんな感じ方で踊ってて。その中に紛れてあたしは踊り続けた。
 カッコ良すぎるよ。ドラマにだってあんな刑事さんはいない。
 
「もう帰んぞ」
 気付いたら、終電の時間。あっという間だった。
「なんかえらくサワヤカな顔してるねぇ」
 目を細めると保苑さんは煙を吐きながら言った。 
「うん。チョー気持ち良かった」
「そーですか。そりゃヨカッタネ」
 保苑さんはくすりと笑った。その時、保苑さんの携帯が鳴った。ぱかっと開いて画面を見てから、一瞬渋い顔をしてボタンを押した。
「ハイ。どうした?」
 さっきまでのぶっきらぼうな声がわずかに穏やかになった。驚いて保苑さんを見ると、保苑さんはさらに渋い顔をしてあたしを見返した。
 女のヒトかな? 直感でそう思った。
「うん。ああ、大丈夫。人は見つかったから」
 そう言いながらタバコを深々と吸い込んでる。
「え? そうだな、この埋め合わせはどうしてもらいましょうかね?」
 そう憎まれ口を叩いてるけど、保苑さんはすごく嬉しそうな顔して笑ってる。笑顔がコドモっぽくてかわいかった。
 もしかしたら、ホントは電話の相手とさっきのクラブに行く予定だったのかな?
 この人をこういう表情にさせる人ってどんな人なんだろう。
 やっぱり大人な雰囲気の人なんだろうか。
「ウソだよ。どっちにしろ仕事絡みだって言ったでしょ?」
 ナニ? あたしは顔を上げる。保苑さんは頬をぴくっと引きつらせてしまった、という顔をした。
「ハイハイ。これから署に戻んなきゃいけないから、切るよ?」
 そう言って、さらにワントーン優しい声で保苑さんはオヤスミと囁いて切った。
 見ちゃいけないものを見てしまった気がして顔がほてる。なんなんだろう? 保苑さんの声にどきどきしてるクセに、胸がチクッとした。
「仕事だったの?」
「うん、まあ、俗に言う『聞き込み』ってヤツですよ」
 そっか。
 なーんだ。
 ”ついで”だったのか。
「さっきの、彼女?」
「いいや」
「じゃあ、好きな人?」 
 保苑さんはふーっと長く息を吐く。ちょっとうざったそう。訊いちゃいけないことだったのかな。
「まあ…。似たようなもんかな」
 曖昧な返事を返されてなんだかなあと思ったけど、さっきの会話だけでもその人を特別に想っているんだろうなってことは分かった。
 どっかで期待してたのにな。 
「ナニ?」
「べっつにー」

 地下鉄の改札の前で保苑さんは苦笑しながら言った。
「もうあんなコトしなくても、もっと程良い刺激があるって分かったデショ?」 
 途端に顔から火が出そうになった。
 なによ、あの時考えてたことバレバレだったの?
「そんじゃ、俺にまた会わなくてもいいようにね」
 保苑さんは改札を通り抜けたあたしに向かって手を振った。
「そんなこと言ってると、補導されに後追っかけてやるからね」
「そんな暇があったらさくっと卒業して、胸張ってさっきみたいなトコ行けば?」 
 むぅ。悔しいけどその通りだ。
「うるさいなっ。分かってるよっ」
 捨てぜりふを吐くようにそう言うと、保苑さんは笑ってた。
 絶対大学受かってやろうと思った。
 それから、クラブに通って保苑さんみたいな人を探すんだ、とも。

                               - 終 -


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