----- planB




 さっきから椿は親指を軸にシャーペンをくるくる回しながら、押し黙ったままだ。その沈黙をうち破るように呟いたあたしの一言は案の定、椿の手の動きを止めた。
「はぁ? クリスマス?」
 露骨に怪訝そうな顔してあたしを睨み付ける。その椿に麻生君がすかさずツッコミを入れた。
「まさか、お前受験生にかこつけて素通りする気か?」
「素通りもなにも、今までなんかやった試しがある?」
「…ナイ」
 そうですよー、分かってますよー。ただ少しは恋人同士らしく、イベントごとをやってみたいなっと思っただけじゃないの。しょぼぼーんって感じで縮こまるあたしを麻生君は気の毒そうに見ている。やれやれと言った様子で溜息をつくと椿にお前なぁ、と物申し始めた。いいぞ、ガンバレー。
「北野なら少しくらい息抜いたって楽勝だろ」
「そういう問題じゃない」
「どういう問題だよ?」
 今度は椿が深い溜息をついた。
「あのさぁ、麻生が一緒に勉強しようっていうからこうして放課後残ってるんだけど」
「それはそれ、これはこれ。なっ、美哉ちゃん」
 とかいって、さっきから麻生君、数学の問題一問も解いてないんだけどね。なんだかこういうシチュエーションにはしゃいでる、と言った方が正しいのかもしれない。椿は普段こういう風に誰かとお勉強なんてことやらないし。
「そう言うお前はなんかやるの?」
「ノーコメント」
 麻生君はニヤッと笑った。椿はあっそう、と素っ気なく返事をして英語の問題に目を落とす。
 麻生君とイベントの時期につきあえる子はラッキーガールなんだそうだ。特別何かあるワケじゃないらしいけど、いつもにも増してらぶらぶな雰囲気に浸れるんだって。
 麻生君が女の子と長続きしないのは博愛精神に溢れすぎてるからなんだと思う。誰にでも優しいから、女の子はすぐ夢中になっちゃうけど、つき合っててもその優しさは自分だけに向けられているわけじゃない。嫉妬深い子は特別なんだって思えなくなってきてすぐにさよならしちゃう。嫉妬深くなくても猜疑心の塊になっちゃうらしい。
 あたしこそは、って思ってても結局駄目みたい。だから傍目には麻生君が女の子をひっかえとっかえしてるみたいに見えるんだけど、実のところ麻生君が自分から告白した子は一人もいない。
 あたしは麻生君にはなんでか惹かれはしなかった。今にして思えば、結局椿じゃなきゃ興味が持てなかっただけなのかもしれないけど。椿から賭に使われてたって聞いてムカついた理由も、そんなので負けてあたしが麻生君とつき合ったりしてもいいのか! ってことだったし。麻生君がちょっかい出してたらしいことに関しては、今の椿と同じようにあっそう、て感じだった。他の女の子からひんしゅくを買いそうだけど。それもこれも椿以外の人は眼中になかったって事で許されて欲しい。こういう風な関係になる前から椿にメロメロだったみたいで悔しいけどね。仕方ない。
 そうぶつぶつ考えながらも、椿に数学の分かんないところを教えて貰う。椿って一回聞いたときはすごく丁寧に優しく教えてくれるけど、同じのを二回聞くと態度が豹変するんだよね。分かってるケド、分かんなくなるんだってばー、と反論してると横で麻生君の目が点になってる。
「なあ、いっつもそんな喧嘩腰で勉強してるの?」
「「喧嘩腰?」」
 ありゃ、椿とハモった。
「もう少しオブラートにくるんだ言い方しないの? 普段の穏やかな優等生の北野はドコへ行ったんだよ」
「学校以外じゃ椿っていっつもこんなだよ?」
 麻生君は一瞬呆気にとられたような顔をしてたけどすぐに、うわーと言いながら体をのけ反らせる。
「猫かぶりかよー」
「そうなんだよー」
「ウルサイ」
 椿が低く唸った。

 
 帰り際に麻生君は椿となにやらもじょもじょ話してる。なんだろう? また賭の話かな。靴を履き替えて待ってると椿が眉間にしわを寄せながらやって来た。
「どうしたの?」
「なんでもない」
 短く答えると椿はすたすたと自転車置き場の方へ向かっていく。後から麻生君がぽんとあたしの肩を叩いて、じゃあねっと一言言うと元気よく門の方へ走っていった。
 そんなにクリスマスしたいなーって思うのヘンだったかな。
 そりゃあ、今までそれらしいコトしたのって小学生の時までだったけど。受験も近いけど。ちょっとくらいらぶらぶなムードに浸りたいじゃない? つき合ってるって言っても、衝撃の告白以降、椿ってなんだかんだ言ってあんまり変わらないし。
 ホントはクリスマスの前に椿の誕生日があるんだけど、それも本人興味なさそうだしなぁ。あーあ、つまんない。園子は相手がいるだけマシでしょ、って言ってたけど。とはいえ、既に熟年夫婦のように見られてるのってどうなのよ?
「帰るぞ」
 手袋をした椿の手がぽふ、と頭の上に乗っかる。椿の手袋、というかグローブって言った方が正しいんだろうけど、かわいくて好き。オートミール色の毛糸で手のひらの部分が皮で補強してあって、自転車を漕ぐときにはぴったり。あたしのフリースの安物だとあっという間に握ってるところが毛羽立っちゃうんだよね。
「美哉、最近運動不足だって言ってただろ」
「え? うん…?」
 タイヤがパンクしてあたしはここ最近ずっとバスで通ってる。帰りは椿の後ろに乗っけてもらうんだけど、いつも通りにかごに鞄を突っ込んでると、椿の目がニヤーリと笑っている。なんかヤな予感。訝しげな顔をしたらあたしが座るはずの荷台に椿がまたがった。
「えーっ? あたし漕ぐの?!」
「そう」
 椿はさらっと言うと、ほらガンバレーとにやにやしている。
「帰りは下り多いからいいだろ」
 大きく鼻で息をして、あたしはしぶしぶ自転車のサドルに腰掛けようとした。
「ていうか、足届かない…」
「大丈夫だって。人間スタンドが後ろに控えてるし」
 くそー。
 あたしは後ろを振り返って椿を睨んだ。
「ねえ、誕生日はちゃんとあたしんちに来てよね」
 一瞬キョトンとしてたけど、椿は分かったから早く漕げってと笑った。なんだかまた適当に返されてる気もするけど、まあいっか。
 学校から家までの間に5回程椿をヒヤリとさせちゃったら、椿はもう二度とやらないとぼやいて帰っていった。

 * * *

 クリスマスはともかく、誕生日はちゃんとやらないとね。プレゼントはもう買ってあるし、これだけは譲れない。
 今年も椿のおじさんは仕事で忙しいみたい。だから、今年もママが張り切ってお祝いしなきゃって浮かれてる。お姉ちゃんもいないし、寂しいのを全部それで打ち消しちゃえって魂胆丸見え。
 勉強漬けのストレス解消にお菓子作りにハマってるのを口実に、ママにはいい具合にごまかして、今年からあたしがケーキ担当。椿は知らないはず。とうとうおやつの自給自足に踏み切ったか、って椿は呆れてるけど、そこそこおいしく作れるようになったから文句は言わせないもんね。
 あとから来てねって椿に言い含めてから先に帰る。家にはいるとママのウキウキオーラが玄関先まで広がってる。
「美哉お帰り。手伝ってー」
 自分の娘の時だってこんなウキウキしてくれないぞ。どういうことよ?
「ママ…。娘と椿と、どっちが大事?」
「椿君」
 ママはいとも簡単に即答した。 
「あったりまえよーう。椿君だと反応が可愛いもの。ああいう息子が欲しかったわ」
 そう言いながら鼻歌を歌い始めるママを横目にあたしは溜息をついた。いやいや、今日ばかりはそんなコトしちゃイケナイ。ママあってのごちそうだもの。

 それからしばらくしていつものように、小さな声でコンバンワって言いながら椿がやって来た。
「まふらー?」
 包みからにゅるにゅると出てきた太いボーダーのマフラーを見て椿が呟いた。
「うん、いつも寒そうでしょ?」
「んー。ありがと」
 こういうときの椿はとっても素直。欲がないというか、なんというか。でもいつもよりも嬉しそうに見えるのは、気のせいじゃないよね。
 椿の好きなメニューで占められた晩ご飯は、ここ数年目に見えて気合いが入ってきてるのが笑えるんだけど、それでも椿は全部食べてママを喜ばせてた。
 大きなろうそく一本と小さなろうそく八本をふーっと吹き消して、食べきれなかった分のケーキを持って帰るって言って、プレゼントのマフラーを巻いて椿は帰っていった。

 * * *

「りんりんりーん、りんりんりーん、くりすーますー」
 久しぶりに覗いてくるって言う椿にくっついて放課後に生徒会室に行くと、ツリーはあるわ、緑と赤の紙で作った飾り付けはしてあるわ、そこはとても学校の中の一教室とは思えない。
「りんりんりーんの部分はジングルベールじゃないの?」
 コンセントの前に座り込んで、のんきに歌を歌いながら電飾の配線をいじってるのは現生徒会長のマスダ君だ。あたし達に気付いてない様子の彼に、椿はぼそっと呟いた。
「うっそ、俺ガキの頃からずっとこう歌ってた。って、おわっ、北野先輩?!」
 そこで初めて気がついて、彼は慌てて立ち上がった。
「今年もやってるんだな」
「え? 今年も? 毎年やってるの?」
「あ、西田先輩こんちはー。そうっすよ。コレ、生徒会の伝統なんすよ。知ってる人少ないけど」
 そうなんだ。コレは知らなかったなぁ。椿教えてくれたらよかったのに。ぽかーんとして辺りを見渡してると、マスダ君がいきまーすと叫んでコンセントを突っ込んだ。椿が入り口の電気を消す。
「うわ、すご…」
 薄暗い教室にチカチカ灯りが点滅してめちゃくちゃロマンチック。うっとりしてたら椿がふっと笑って言った。
「マル秘デートスポット」
「金取ろうって言いだしたの北野先輩っすよね」
「ナニ?!」
 思わず大きな声で椿を見上げた。
「ばーか、言い出しっぺは俺らの二つ上の人だよ。予約制にしようって言ったのは俺だけど」
「そんなに人気あるんだ?」
「ごく一部にね」
「先輩もどうです? 特権でイブの日空けますよ」
 ほんと? まじで? 思わず身を乗り出しかけたあたしを遮るように椿は遠慮しとくって断った。
「今ならおまけつきなのにーっ」
「おまけ?」
 訝しげな顔する椿にマスダ君はコレは俺の案ですと嬉しそうに紙袋を差し出した。椿と一緒に覗き込んだ中には…。少なくとも学校で使うもんじゃないだろうブツやらインスタントカメラやらティッシュやらが入ってた。
「なかなか名案っしょ?」
「ふーん。で、コレを駆使して俺にここでコトに励めと?」
 椿は冷ややかに笑みを浮かべる。あたしも前言撤回。なんかやだわ。
「大方、写真の焼き増しとかもやらかす気だろ」
「なんで分かったんですか」
「普通分かる」
「やりましょうよー。先輩らがつき合ってるのは実は偽装って噂が未だにあるんすから。ここらでどーんと、絡んでるとこを、ね?」
「煩悩丸出しもいい加減にしないと千枚通しで頭蓋骨砕くぞ」
 椿の低い声にマスダ君はあははーと乾いた笑い声をあげた。
「なんか北野先輩ってそういうのホントに隠し持ってそうだから怖い」
「まあいいや。おまけは先生に見つかんないようにな」
 そんじゃ帰るわ、と椿は言い残してあたしの腕を引掴んだ。
「越後屋っ!」
「俺はあそこまでやらかさなかったって」
 廊下をずんずん早足で歩きながら椿が言い返す。
「悪徳商人っ!」
「やかましい」
 椿は風で飛ばないようにマフラーをきゅっと結びながらムッとした顔であたしを睨む。
「それはそうと、美哉、アレ口外すんなよ」
「分かってるよ」
 そう言いながらもあたしは最後にもう一度叫んだ。
「桔梗屋っ!」

 * * *

 結局、椿はクリスマスのことはなにも触れなかった。やっぱり興味ないのかな。まあ小さい頃は誕生日とクリスマスは合同だったらしいし、特別思い入れのあるイベントじゃないのかもしれない。
 しれないけど、ちょっとつまんない。
「美哉、クリスマスのケーキは作らないの?」
「うーん、ケーキねぇ…。どうしようかなぁ」
 ママに言われてあたしはぼんやりと答えた。
「パパは作って欲しいって。この間はパパの分取り分けるの忘れてて、椿君が全部持って帰っちゃたでしょ。あれ、パパかなりショックだったらしいわよー」
「そうなんだ?」
 ふーん、じゃあ作ろうかな。
 ケーキの本を取りだしてぱらぱらとめくってみる。
 めくりながら。
 いいけどさ。
 別にいいんだけどさ。 
 …今から椿の首締めに行ってもいいかな。

「眉間にしわ寄ってるわよ。そんな難しいのじゃなくてもいいけど…?」
 ごめんね、パパ。ケーキのことは既に吹っ飛んでました。
「あ、いや、うん、大丈夫」
「それはそうと、電話」
 え? 電話鳴ってた? いつの間に?
「椿君から」
 え?


「…遅い」
「だって、いきなりこんなとこ来いって、どーいうことよ?」
 都内の某駅に辿り着くと、椿が寒そうにしながら仏頂面でお出迎えしてくれた。「ここ、おじさんの仕事場があるとこでしょ?」
「そう」
 小さい頃に何回か連れてきて貰ったきりだけど、スタジオへ向かっていく道はなんとなく見覚えがある。
「今もちょくちょく来てるんだ?」
 入り口でスタッフのおにーさんと親しそうに話してた椿はなんだか常連っぽい。鍵をちゃらちゃらいわせながら椿は慣れた様子で歩いていく。
「金が入り用の時にね」
 エレベーターで上がって、さらに階段を上りながら椿はそう言った。首を傾げたあたしにバイトしに来てるんだよと付け足す。
「バイト?」
「うん。ほとんどパシリだけど親父の手伝い」
 椿の後ろ姿を見つめていたら、急に頬がヒヤッとした。ドアを開けたそこは屋上で、地上よりもほんの少し冷たい風が吹き込んできた。
「こっち」
 誰もいない吹きさらしの屋上を椿に手を引かれて歩く。
「ほらここ」
「あ」
 屋上から見下ろすと、すっかり暗くなった空の星に対抗するように、クリスマスのイルミネーションがあちこちで光ってた。
「すごいね、東京中がクリスマスなんだ」  
「胡散臭い生徒会室よりはずっといいだろ?」
 あれ? あたしは椿の方を振り返って見上げた。椿はくすっと笑っただけだった。
「これってクリスマス?」
「1日早いけどね」
 あれ? 顔が急にほてってきた。ぼうっと椿の顔を見てたら、ポケットから小さな包みを差し出された。
「開けていいの?」
 中からペンダントが出てきて頭が真っ白になりそうだった。
「俺がつけた方がいい?」
 椿の優しい声に、さっきから固まったままのあたしは頷くことしかできなかった。
「マフラーが邪魔」
 慌ててマフラーを取ると、大きな手が首元を掠めていく。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
 どうしよう、こんな展開なんて想像もしなかった。ヤダな、涙出そう。
「ごめんね」
「なにが?」
「だって、あたしなにも…」
 言いかけたあたしに椿は笑った。
「別にいいよ。内緒にしてた俺が悪いんだし」
「いつから考えてたの?」
「十二月の頭くらいから」
 そんなに前から? だったら麻生君にけしかけられてた時はもう考えてあったってこと? だったらそう言ってくれればいいのに。
「ウルサイから麻生にはばらしたけど、誰にも言わないつもりだったし」
「なんで肝心のあたしには教えてくれたなかったのよぅ」
「事前に言ったら驚かす意味がないだろ」
 なんだか一人で騒いでたなんてバカみたいじゃないのー。悔し紛れにグーパンチをお腹にお見舞いしようとしたら、拳を掴まれてそのまま椿のジャケットのポケットへ吸い込まれた。 
 さっきよりもさらに顔がほてる。もう完敗。
「椿こういうの興味ないのかと思った」
「なくはないよ」
 そう言いながら椿はポケットの中で握り直した手に少しだけ力を入れた。
 なんだ。 
 なーんだ。
 不意打ち食らってばかりで悔しいな。
 でも今まで知らなかった椿を知るのは楽しいから。
 街の灯りを眺めてる椿の横顔を見つめてたら、それに気付いた椿があたしを見つめ返す。思わず照れ笑いしたら、椿の顔がすーっと下りてきて、唇に軟着陸した。
 1日先取りで。
 私も幸せな女の子のうちの一人だよね?

                                 - 終 - 

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