----- パーフェクト


   >>> 3



 中間テスト、期末テストが近付く度、あたしは椿に助けを求める。
 その辺の塾に行ったり、家庭教師を雇ったりするより、格段に教え方がうまいし分かりすい。椿もその事は分かっていて、テスト前の日曜日は丸々開けて、あたしの質問日にしておいてくれてる。ただし日曜日だけ。
 その日曜日、我が西田家では、お姉ちゃんが男の人を連れて来るってんでちょっとした騒ぎになっていた。
 椿が家に来ることになっていたけど、予定変更だ。2階にいれば大丈夫よとママは言うものの、そう言う問題じゃないのだ。うっかり鉢合わせしちゃう事だけは避けなくては。椿がショックで勉強どころではなくなったら困る。きっとその場では平気そうな顔してたとしても、あとからじわじわくるに違いない。
 それにお姉ちゃんが男の人を連れてくるのは、今回が初めてじゃない。なのにパパとママのこの慌てっぷりだ。普段のんびりしてて何事も動じないパパでさえそうなのだから、心の準備もない椿には、寝てる最中にバズーカ砲を枕元でぶっ放されるようなもんだ。だからっていつまでも隠し通せるわけじゃないけど、ワンクッション置かねば精神的打撃が大きすぎる。


 と言うわけで、前の日の夜にあたしが椿の家に行くと電話しておいた。
 ところが、だ。
 目が覚めてみると、十時五分前。椿の所に行くのは十時半と言ってある。そしてお姉ちゃんの彼が来るのは十時。つまり少し顔を見せて挨拶をしてから、椿の所へ行く予定だった。
 時間がない。
 なんで起こしてくれなかったのーっと思ったけど、どうも下では準備でそれどころじゃないみたい。急いで着替えて派手な音を立てて階段を駆け下りると、ママと豪快にぶつかった。
「あ、美哉のことすっかり忘れてた。もしかして今起きたの?」
「お姉ちゃん達まだ戻ってないよねっ」
「まだよ」
 お互いにイテテと体をさすりながら、ママは台所、あたしは洗面所へと駆け込む。その時、無情にも玄関からチャイムの音が鳴り響いた。えっ、予定よりも早いんですけど。ママが思いきりよそ行きの笑顔で玄関に向かう。
「あら、椿くんおはよう。確か美哉がそっちに行くはずじゃ…」
 拍子抜けした風なママが言い終わらないうちに、あたしは歯ブラシをくわえたまま玄関まで飛び出した。
「ちょっと、どういうこと? 昨日、電話で…」
   と言いかけて、よだれが垂れそうになって慌てて口を押さえる。椿もママもきったなーいという顔をしてあたしを見る。
「いや、分かってるけど。コンビニでなんか食べるもの買ってこようかと思って。ついでだから美哉を迎えに来たんだよ。…なんだよそんな殺気立った顔して」
 ママはちょっと待ってて、と椿を上がらせようとする。
 ちょっと待ってよ、冗談じゃないそんなコトしたら。
 まさに絶妙なタイミングで玄関のドアが開き、お姉ちゃんと彼氏が仲良くそこにいた。お姉ちゃんがギョッとした顔でこっちを見ている。
 一番最悪のパターンになった。


 椿はさっきから上の空だ。
 コンビニからの帰り道で、自分の家に戻る道を間違えそうになったくらいだから、かなり重症。勘のいい椿のことだ。もしかしたら全部分かっちゃったのかもしれない。
 椿の家のリビングルームで、ローテーブルに教科書やノートを散乱させつつなんとか勉強を始めたけど、椿は溜息ばかりついていた。
「あいつが今の美千代姉ちゃんの彼氏なんだ」
 数学の教科書から顔を上げて、庭に面した窓の方に目を向けると、椿は突然つぶやいた。
「今回の人はなんか特別なわけ?」
「えっ、どうして?」
 やっぱり、バレてるよ。
「みんな慌ててたし、あいつスーツ着てただろ」
「仕事がカタい職種の人らしいから、服装もそうなんじゃないかなっ」
「そんなことあるかよ」
 …そうだよね。あたしは溜息をついた。
「…集中できなくなると思ってこっちにしたのに」
「なにが」
「試験勉強だよ」
 完全に椿の頭の中は、お姉ちゃんとその隣の男の人でいっぱいってかんじ。
 奇跡と言ってもいいほど、椿の集中力はなかった。諦めて平日に質問日を設けさせて、その日はさっさと切り上げて家に戻った。ママが、お姉ちゃんが結婚する予定でいることを教えてくれた。予定って言うか、もう確実なんでしょ? と聞いたらそうなんだけどね、とママは笑ってた。
 嬉しいニュースのはずなのになぜか心から喜べなくて、椿にどう伝えようか、そればかりが頭を回っていた。


 ----------    ----------    ----------


「会長さ、なんかげっそりしてない?」
「うん、昨日廊下ですれ違ったとき思った。なんかすごく疲れてそう」
「ねえ、美哉。会長ってそんな忙しいの?」
「なんであたしに聞くのよ。知らないもん…イテッ」
 家庭科の授業で、黙々としつけ糸を縫いつけていると、針が勢い良く指先に激突した。血の玉がぷーっと指先にふくれあがる。ルビーみたいで綺麗だなと思いつつ、それを舐める。
「知らないって、あんた達っていつも一緒にいるんじゃないの?」
「いつもってわけじゃないよ。だいたい、ここんとこロクに顔合わせてないし」
 園子はふーんと言って、ミシン掛けの作業に戻る。
「美哉、ちょっと様子見に行った方がいいかもよ? なんか変だもん」
 なにか含みのある言い方だったので、あたしは園子の顔を見た。園子はさーてね、といった感じで目をくるっと回して、またミシンに向かった。


 分かってるんだよね、ほんとは。なんか遠巻きに見てて、椿やばそうだなってのは。でも原因はアノ事件だろうから、どう話しかけたらいいものかずっと悩んでて、結局ほったらかしだった。他の人が見てもどこか様子がおかしいなら、いい加減ばっくれてるわけにはいかないな。行きづらいけども、生徒会室に出向いてみるとするか。
 生徒会室って、悪いコトしてるわけじゃないのに足取りが重かったり、心苦しかったりするのはなぜなんだろう。なんだか職員室と空気が似ているからかも。生徒を裁くための部屋っていうか、なんというか。いや、別に裁きはしないんだっけ。とにかくそこへ入り浸っていられる椿は、ほんと尊敬する。
「つば、っと北野くんいますかー?」
 おざなりなノックをして、戸を開けた。
「美哉」
 そこには椿と知らない女の子が、なにやらすごくいい感じで向かい合っていた。
 反射的に体が180度回転した。
 顔が一気にほてった。これは見てはいけないものを見てしまったというやつ?
 そのままここから立ち去るべく、あたしは急いで歩き始める。
「美哉!!」
 後ろで椿が叫ぶ声がしたけど、あたしは振り返れなかった。
 気付いたら、体が勝手に走り出していた。
 なに、なんだ、アレは? あの場にあたしが現れなければ、キスしてそうなぐらいの雰囲気だった。なんで? なんでこんなに心臓がばくばく波打ってんの。
 なによ、椿って彼女いたわけ? いつの間に?
 そのまま、自転車置き場まで走り続けてた様な気がする。でもあまり覚えてない。いつの間にか家に辿り着いてた。


 それからちょっと経って、椿が怒ったような顔をして家にやって来た。その表情にママはビックリしていたけど、どちらかといえば、過労死寸前のサラリーマンみたいな姿の方にビックリしたといった方が正解かもしれない。椿は一言、ご飯ごちそうになっていいですか、とママの目を見据えて言うと、返事も待たずに上がり込んだ。
「椿くん、前々から言ってるけど、疲れてご飯作るのが面倒だったりするんならいつでも家に来なさい。つまんない遠慮なんかして体調崩してもしょうがないでしょう?」
 いつになく強い口調でママは言った。椿はハイ、と小さく答える。
「あなたのお父さんに、留守中のことは任せてちょうだいって言ってあるのに、これじゃ監督不行届だわ」
 椿はうつむいたまま、ひたすら食べ物を口に運ぶ。ママは溜息をついた。
「美哉の勉強もずいぶん見てくれてるんだもの、プラスマイナスゼロだと思えばいいんだから。ね?」
「…ハイ、すいません」
 椿は綺麗に食べ終えると、ママに礼を言って、リビングの方で様子をうかがっていたあたしに目を向ける。
「美哉、ちょっと話がある」
「あたしはない」
「なっ、…おまえなあ」
「なに? ケンカ? あんた達が珍しいわね」
 そこへお姉ちゃんが割って入ってきた。
「そんなんじゃないよ」
 あたしはそっぽを向いた。今、椿とまともに話す余裕なんてこれっぽっちもない。
「美哉っ」
「まあまあ、椿、落ち着きなさいよ。ふくれっ面した美哉になに言っても無駄なのは分かってるでしょ? それよりあたしにつき合いなさい」
 お姉ちゃんに肩を叩かれながら促されると、椿はしぶしぶそれに従う。横目でまだ何か言いたげにあたしを睨んでいたけど。
 あれは、絶対ご飯を食べることの方が口実なんだ。
 なによ、あたしに見られたのがそんなに腹立つわけ? わざとじゃないに決まってるでしょ。だいたい学校であんな事やってるからいけないんでしょうが。陰でみんなやってるんだろうけど、あんなの自業自得だっつーの。


 逆ギレモード全開のあたしは眉間にしわを寄せて、テレビを睨み付けながら見ていた。その時、一体何を見ていたのか全然思い出せない。映像が目に入ってきても、脳まで届いてなかったのかもしれない。
 時折、椿とお姉ちゃんの会話が耳に聞こえてきたけど、いつもみたいに和やかな雰囲気はなかった。他愛のない話をすることもなくお互い黙々とポーカーをやり続けていた。
 のどが渇いてキッチンの方へ向かったとき、それまで黙っていたお姉ちゃんが不意に口を開いた。
「あたし、結婚することになったわ」
 あたしは驚いて危うくオレンジジュースの紙パックを落としかけた。椿の手が一瞬止まって、また何事もなかったかのように動き出した。
「ふーん、よかったじゃん」
 低い声で椿はそれだけ言った。
 お姉ちゃんはまた何か言いかけたけど、椿の顔を見て言うのをやめた。椿はずっとうつむいたままだった。二人ともそれだけが精一杯だったみたいで、その後はほとんど何も話さなかった。
 その日、椿は初めて負けた。椿は、
「餞別だよ。わざとだからな」
と言い残して帰っていった。
「ばーか、そういうことは百年早いわよ」
 お姉ちゃんは笑ってたけど、椿が帰った後、目は涙で潤んでいた。


 ----------    ----------    ----------


 椿の叔父さんが、単身赴任を終えて戻ってきた。椿は家に顔を見せなくなった。
 学校でも、あれ以来なんだか気まずくて避けている。園子は、幼なじみ同士のケンカって気心知れてる分、タチ悪そうだわとぼやいていたけど。
 天気のいい日曜日。叔父さんがふらっとやって来て、リビングでパパとママと談笑している。お姉ちゃんは出掛けていていない。
 あたしは手持ち無沙汰でリビングの本棚をごそごそと物色していたのだけど、いよいよすることがなくて、今度はキッチンの方へ行って冷蔵庫の中を物色しようとした。すると見かねてママがリビングから叫んだ。
「美哉、椿くん家にいるんですってよ。暇ならそこのお菓子持ってってあげてちょうだい」
 え? なんであたしが。露骨にイヤそうな顔をしてしまったせいか、ママにいいから行って来なさい、と凄まれた。
 …今、一番顔合わせたくないんだけどなぁ。あたしはしぶしぶ家を出た。


back    index    next


Copyright (C) 2002 Mutsu Kisaka All Rights Reserved.