----- フォーカス




「秋良(あきよし)。課題やった?」
「いーや。だって今週末でしょ?」
「暗室混むよ?」
 太陽の照り返しも幾分弱まった屋上。俺は地面を行き交う人をなんとなしに見下ろしていた。アリみたいに、正門から校舎までをちろちろと歩いている。
 みんな一体何処に向かっていくんだろう。そういう俺はドコに向かっていくんだろう。最近そんなマジメなことばかり考えたりして。
 きっと親父が口うるさいからだろうな。
「素材が見つかんねーんだもんよ。しょうがないっしょ」
 ファインダー越しにアリ達に焦点を合わせる。
 アリがだんだん大きくなって、やがて一人の女の子に形作られていく。
 俺に気付いているのかいないのか。空を眩しそうに見上げる。目を細めて柔らかく微笑んでいた。
 金縛りにあったように動けなかった。
 我に返って、俺は慌てて出入り口へ向かって駆け出す。
「おい、秋良?!」
「いた」
「は?」
「素材がいたわ」
 
「ちょっと待って」
 俺に肩を叩かれて、彼女はまるで痴漢にでも遭ったかのように体を強張らせた。
 そりゃそうだよな。写真部のむさい男なんて、きっと彼女には縁がないだろう。しかも久しぶりのダッシュに息上がって情けないことこの上ないようなヤツなんて。
 そう思ったものの、引き下がるわけにはいかない。
「あの、少し時間もらえますか」
「はい?」
「あの、被写体になって欲しいんですけど」
「ヒシャタイ、ですか?」
 彼女はきょとんとしたように瞬きをした。肩に届くか届かないかの髪がわずかに揺れた。
「…ああ、えっと、つまりモデルになって欲しいってことなんですが」
「私が、ですか?」
 大きな瞳がさらに大きく見開かれた。彼女はふるふると首を振ると出来ません、と小さく言った。
「そう言われるのは分かってます。でもね」
 困ったような顔で見上げられて、俺まで困ってしまいそうになる。レンズ越しでは分からなかった、長いまつげとか、ほんのりと紅い唇とか。そういうパーツが目に飛び込んでくる。
「アナタみたいな人をずっと探してたんです」


 結果は玉砕。
 断られるのって初めてじゃないけどさ。もうちっと、気の利いた対応してくれてもよさそうなもんじゃないの? 絶句して逃げるって、どういうコトよ?
「あーあ。秋良あほだよな、相変わらず」
「こっそり盗撮するよか、よっぽど紳士的だとは思わねえ?」
「それはどうだかなぁ」
 第2教室の窓側の後ろから3番目。ここが俺の定位置。教授の話がだんだん脱線していくけど、誰も聞いてやしない。
「結局、名前も学年も、学部すらも分かんなかったわ」
「ご愁傷様」
「あのままシャッター切っとくんだった」
 窓の外は俺をあざ笑うかのように青い空だった。俺は溜息をついた。
 屋上から見下ろした時、確かに彼女の背中に羽根が生えてた様に見えたのに。


「秋良ー」 
「先輩、俺はもうダメです。構わず、先に行って下さい」
 部室でテーブルの上に突っ伏して、腕を振るわせながら先輩に向けて手を伸ばす。
「なにぬかしてやがる。課題出せ、課題」
 先輩は俺の瀕死の手を容赦なく叩き落とした。
「恨めしそうな顔すんな。難しいことは言ってないぞ。モデルならあの子がいるだろ、ほら、純(じゅん)ちゃん」
「あれはだめ。カメラ向けてもアホヅラすることしか考えてないんすから、あの女」
「あの女って、お前ねえ…。あんな綺麗な子、もったいないぞ」
「どう言われようとあいつは却下」
 先輩はタバコを吹かしながらそういうもんかねえと呟いた。
「そういうもんすよ」
 仮にも年上なのに、容赦なく俺を呼び捨てにしやがる。確かに見てくれは良いけど、あいつの思考回路は親戚一同が首を傾げるほど奇怪だ。わずかでも似たようなDNAを持っているとは思いたくない。

 ところがだ。
 世の中は狭い。
「秋良がハメ撮りしたがってる子、もしかしたらあたし知ってるかも」
 純は切れ長の目を細めるとタバコを揉み消した。
「オイ」
「うん、彼女ならあたしも食っちゃいたいって思うわ」
「純」
「ナニ?」
 キャンパスの中庭にあるベンチに膝を抱えて座る純は新しくタバコを取り出そうとポケットを探っている。その純の前に立ちふさがるようにして俺は見下ろしていた。
「なんか誤解されてんじゃないかとここ最近思ってたけど、原因はお前か」
「人聞き悪いな。間違っちゃいないっしょ?」
「大いに間違ってる」
「ほんとは狙ってるクセに」
 くっくっと純は悪びれることなく笑う。今までよく絞め殺さずにいたよな、俺も。
 偉いぞ、俺。そう自画自賛していると純が立ち上がった。どうもタバコが切れてたらしい。
「大体さ、秋良ってば純情すぎんのよ。なんかそういうのって見ててムカつく」
「余計なお世話だ」
 言葉通りに男を掃いて捨ててるお前に言われたかないぞ。そう内心で毒づいていると、純が「あ」と呟いて走り出した。何事かと思って純の向かう方を見て、俺は立ち止まった。
 間もなく純が満面の笑みで俺の所へ戻ってきた。この借りはでかいぞと緩んだ口元が言葉にしなくても語っている。
 引きずるように連れてこられた彼女は、再び俺に再会するとは思っても見なかったんだろう。遠目に俺の姿を認識すると顔色が変わり、俺の目の前に突き出されたときには半ベソになっていた。
「秋良、蝦沢(えびさわ)さん。彼女でいいんだよね?」
「…ああ」
「私、出来ません」
 開口一番、彼女…蝦沢さんはそう言った。
「蝦沢さん、こいつ、ハトコの北野秋良ね。つってもほとんど他人も同然だけど。胡散臭そーな身なりで、胡散臭そーな部に入ってるけど、腕は悪くないから初めてでも大丈夫」
 純はにこやかにそう言うと蝦沢さんの耳元に顔を寄せた。
「優しくしてくれるから、痛くないよ?」
「純」
「なーに?」
「お前はどうしてそう…」 
「なにか語弊があったかしら?」
 握りしめた拳がふるふると震える。蝦沢さんは完全に引いていた。
「ったくもう。秋良、そんな怖い顔してたら蝦沢さんビビるでしょ。ま、今のは冗談だから話だけでも聞いてあげて? ほら例の、アレ撮った人だから」
 純は蝦沢さんにそう耳打ちする。
 ”アレ”?
 訝しんでいると、純は「じゃ、後はお若い人どうしで」と言って足早に去っていく。蝦沢さんはまだ体を固くしてその場に立ちすくむようにしてたものの、俺へ向けられる眼差しには変化があった。
「あの、いや、あいつの言うことは9割方嘘だから聞き流して。あいつおかしいから」
 その時、初めて蝦沢さんはふふっと笑った。小さく「私もそう思います」と言った。
 やばい。瞬殺されそうなくらいかわいい。
「「あの」」
 あ、ハモった。お先にどうぞと手で合図すると、蝦沢さんはわずかに頬を赤らめた。
「あの、純ちゃんの写真撮った方だったんですか」
「は? ああ、純のアホヅラなら…」
「賞を取った写真があるでしょう?」
「ずいぶん昔のこと知ってるね」
 俺は苦笑した。なんとなく打ち解けてきて俺達はベンチに座った。
「父が買ってた雑誌をたまたま見て、素敵だなってずっと思ってたんです」
 純と知り合ったのも写真を覚えていて思わず声を掛けたからだと蝦沢さんは言った。
「アレは純の功績の方が大きいからなぁ。俺は素直に喜べなかったんだよね」
「私、純ちゃんに会ってみて写真のままの人だなって思いました。時々見える素の純ちゃんが写し出されてる感じがします」
 それを聞いて、もうあんなのは撮れないだろうなと独り言のように呟いた。
「あの、今更なんですけど、被写体にさせてもらえないでしょうか」
 思わず彼女の方を見た。ふんわりと笑うその姿の背後に、羽根が広がっている気がした。


「ねえ。あたしの蝦沢さん取っちゃうとはどーゆーことよ?」
「お前のじゃないだろ」
 純は俺の頭上で大きく溜息をつくと椅子に座った。すぐさま写真に手を伸ばしてくる。
「見るな。触るな。近寄るな」
「ムカつくわー。そんなこと言ってると指紋つけるよ?」
 そう言いつつも、出来立ての写真を手にした純はそこに切り出された蝦沢さんを眺めて溜息をついた。
「悔しいけど、すごく綺麗だわ」
 そりゃそうだ。撮りたい人を撮ったんだから。
「ねえ? 裸はないの?」
「何を期待してんだよ」
「だってさ、彼女、肌綺麗そうじゃん」
「…まあ実際、綺麗でしたよ」
 純の手からタバコが落ちた。
「うわ、バカ。なにやってんだよお前はっ」
「それはこっちのセリフよ。なによ、秋良説明しなさいよ」
「説明するまでもない。そのままだよ」
「信じらんないわ、この男」
 純はマジで食っちゃうとは思わなかったわと冷ややかに俺を見る。
「別にそれが目的だったわけじゃない。成り行きだよ」
 その時入り口の方でかたっと音がした。俺と純は一斉に音がした方へ向く。
「あちゃあ」
 あちゃあじゃねえだろ。反省するどころか嬉しそうな笑みを浮かべてる純を睨み付ける。俺は真っ赤な顔をしている蝦沢さんを手招きした。
「いつからいたの?」
「『裸はないの?』あたりから…。あの、純ちゃん。私ハダカの写真なんて撮ってもらってないから」
 ちょこんと俺の隣に座った蝦沢さんに写真を渡す。途端に蝦沢さんの瞳が輝いた。
「すごい、私じゃないみたい」
 純は頬杖を付いて蝦沢さんを見つめている。
「ねえ、秋良のドコが良いの? 少なくとも顔や体じゃないでしょ? それともダマされた?」
「純」
「秋良さんて純ちゃんが言ってたような変なコトしないよ?」
「当たり前です」
 ったく純は彼女にナニを吹き込んだんだ。
「あーあ、やってらんないわー。邪魔者は退散ー」
 純はぼやくように鞄を取ると教室から出ていった。

 俺達だけでひと気のない教室。窓から幾分涼しい風が入ってきていた。
 蝦沢さんはホントに嬉しそうに写真を眺めている。そんな蝦沢さんを見ているだけで俺も妙に幸せな気分に浸れてしまう。彼女はそんな些細なことで周りの人間を幸せにしてしまう、ある種の才能があった。
 一通り見終わると蝦沢さんは小さく息を吐いた。
「私やっぱり秋良さんの写真スキです」
「写真だけ?」
「…秋良さんも」
 頬を染める蝦沢さんにそっとキスをする。ほんとはこういう表情も撮ってみたいんだけど。
「そういえば、アノ日の翌日って授業休んだって純から聞いたけど、大丈夫だったの?」
「そのせいじゃないんです。あの、昔からあまり丈夫じゃなくて、学校ちょこちょこ休んでたりするから。気にしないで下さい」
「そう言われても気にするよ。やっぱああいう行為って体に負担が掛かるもんなのかな」
「だから、あの」
「控えといた方がいい?」
「秋良さん!」
 この話題から逃れようと必死な姿がかわいくて思わず吹き出してしまう。口を尖らせながら俺を軽く睨むと、蝦沢さんは唐突に切りだした。
「秋良さんは将来、写真をお仕事にしようって思わないんですか?」
「え?」
「だって、このまま趣味で終わらせるなんてもったいないわ」
「どうだろうね。世の中そんなに甘くはないから」
 とかいいつつ、バイト先のスタジオで雇ってくれないかなとか考えてたりするけど。
 先日、君はこれで飯食っていきたいなら人物は撮らない方がいいよと言われたのを思いだした。被写体の内面を浮き彫りにしすぎるんだそうだ。その時の感情が露わになりすぎて、ファッション雑誌なんかのモデルを撮るのには俺は向いてないらしい。
 ちょっと、いや、かなりへこんだ。
 それを告げると蝦沢さんは悲しそうな顔をした。
「それでも、私は秋良さんが好きです」
 彼女の真っ直ぐな眼差しが俺に向けられる。
「秋良さんの、世界が」
「蝦沢さん」
 俺はうっすらと笑った。
「大丈夫だから」
「大丈夫な人はそんな作り笑いなんかしません」
 直球で痛いところをつかれた。
「そうだね。その通りだ」
 うつむいて俺は静かに答えた。
「ホントはプロになりたい。なのにさらにダメ押しで親父が卒業したら帰って来いってうるさくてさ。実はめちゃめちゃへこんでました」
 蝦沢さんは黙って俺を見つめる。こういうときヘタに言葉で慰められるのが俺は何より嫌いだ。彼女の無言の慰めはありがたかった。
「秋良さんは実家に戻っちゃうの?」
「戻りたくないけどね」
「遠距離恋愛になっちゃうのね」
 蝦沢さんは目を伏せた。
「それを回避する方法もあるけど」
「どんな?」
「強引にこっちで就職するとか」
「でもお父さんはそうさせないようにしようとしてるんでしょう?」
「じゃあ、アナタが北野沙苗になるとか」
 蝦沢さんが一瞬ぽかんとしたように俺を見つめた。
「一番理想なのは両方実現させることだけどね」
 くすっと笑ってごまかした。
 ふいに蝦沢さんはまじめな顔をして俺のシャツを掴んだ。
「じゃあ、両方」
「え?」
「カメラマンになって、そして私を北野沙苗にして下さい」
 俺は呆気にとられた。見上げる瞳の熱っぽさは冗談じゃなかった。
「…おかしいですか?」
「いえ、全然。おかしくないですよ」
 彼女の髪をそっとなでる。安心したように微笑んだ。
 そして、俺は彼女の願いを必ず叶えてやろうと思った。
  
                                 - 終 - 


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